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Wednesday, 27 July 2011

53.シャシー・ツォ。

 山深いヨクマカルブー村よりさらに深山に分け入ると、気高い山々に囲まれ慎ましい程ささやかな緑と花に恵まれた小さな村サンドゥ村に辿り着く。サンドゥ村の一番奥よりヒマラヤの嶺々に続く羊使いたちがつけた道が天に向って走っている。僕はその道を登っている。

 僕は背中にテントとクッキング用品を背負い、相棒は背中に家庭で使う鉄のかたまりのでっかいガスボンベを背負っている。この道のずっと先にある山の頂きには美しい湖があると云う。その湖の名はシャシー・ツォ(シャシー・レイク)。サンドゥ村の羊使いが放牧に行くくらいで、ツーリストの姿はない。

 しかしこの湖の美しさは筆舌に尽くしがたいほどすばらしいと彼らは云う。その幻の湖に向って僕は歩いている。左側の深い渓谷の遥か下にはさやさやと渓流が流れている。

 その渓流に沿って羊使いの道が続いているのだ。チーズ色の山肌の縁を長い蛇が這っていったような跡が羊使いの道だ。チーズ色の山肌の羊使いの道はしばらく続く。鳥の鳴く声と渓流のせせらぎだけでこの渓谷を形作っている。

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 そして視界が突然広がった。広く柔らかい緑のじゅうたんと、その上に流れる一筋のきらめき透き通る水の道が目に飛び込んでくる。多くの動物たちがこの楽園でくつろいでいるのが分かる。

 この楽園の名はシャシー・スパン。ヤク、羊、山羊、牛、ドンキー、そして多くの鳥たちが緑の中の無数の宝石となって、楽園に彩りを添えている。それに僕たちも加わり楽園にいっそうの彩りを添える。ここでは自分もただの動物に過ぎないと言う事を実感できるのだ。

 動物たちが草をついばんでいるので僕たちも何かついばむ事にした。大きな岩の風防の淵に鉄のかたまりのガスボンベを設置し、渓流の水をちょうだいし、料理を作る。簡単にメギを使った料理をする事にした。メギとはこの地域では非常にポピュラーなインスタント・ヌードルでカレー風味である。

 よく子供たちが袋の上からメギごと手でもんで細かく砕きお菓子のように食べているのを目にする。僕たちはそのメギを大人の味付けで調理する事にした。玉ねぎ、鶏肉などの薬味は僕が調理し、味の方は相棒に任せる。出来上がったのを食べてみると、案の定カレー味だった。チリやマサラを基本にすると結局はカレー味になるのだ。

 でも動物たちといっしょに食べる食事は美味いし心楽しい。美味い物を食いたければもっと地球に近づくべきだ。そしてこのお椀のそこのような地形は緑と花で溢れていて、それらを生き生きさせるために豊潤な水がさやさやと流れている。そして動物たちはその命を恵みとして頂いている。

 僕たちもまたそれらを恵みとして頂くのだ。僕たちはその恵みをたいらげると、羊使いの道をさらに行く。

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 緑の絨毯は山の嶺まで続いているようである。この美しき楽園の中を嶺に向って歩く。このお椀周りに広がるの嶺々に時折人の影が揺らぐ。その影は広く高らかに口笛を吹き僕らに挨拶を送っている。羊使いたちだ。僕らも天に向けて高く口笛を泳がせる。

 口笛は渓谷に反響してこだまが生まれる。風が起こり花がゆれ動物たちが一瞬一斉にこちらに顔を向けるのだ。そしてまた僕たちは羊使いの道を歩く。目の前に山の嶺が迫ってくる。僕らは緑の絨毯に乗って嶺を越える。風が止む。青が目に飛び込んで来た。シャシー・ツォだ。その青は神の色だ。

 山頂のラグーンは目を覚まし、よりいっそうの深い青を湖面に泳がせる。山の嶺は湖面に深く鋭い影を落とす。湖面の輝きは鏡の音をたてて、光り出す。湖の周りの嶺々は時折風を起こす。

 鳥たちが水辺から一斉に飛び立つと、頭上を旋回した後、嶺に降り立ち、強く優しく鳴く。湖面に水のうろこが出来き、鏡に写っていた嶺の影は砕けてガラスの粒となる。風が止むのを待ち僕たちは湖岸にテントを設営した。その黄色と緑の人工物が青の淵で静かに鎮座している。

 それらは地上のただ一つの人工物で僕らは地上最後の人間ではないかと錯覚を起こす。でもこの瞬間にそれを確かめるすべは無い。そして地上最後の楽園に夜の帳が降りてきた。

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 夜の嵐は激しくテントに雨を投げつける。

 朝。山々の嶺に淡く朝の色が灯り、瞼にもそれがのると、僕は静かに目を覚ます。無風。テントから頭を出し、湖を眺める。それは静かなる美しき青き鏡だった。その青は地球を映している。山も空も雲も青に飲み込まれている。青の中から鳥が鳴く。

 そして青よりチャチャチャと鳴く声は鳴きねずみだ。彼女らもその青から抜け出せないようだ。緑も花も青の中にある。奇跡の瞬間が過ぎ、風が起こる。青き鏡は静かに砕け、その粒は鱗となり、湖面を揺らし、楽園は元の場所へ戻る。それは魔法が解ける瞬間だ。

 山も空も動物たちもこちら側の朝の顔に戻り、湖面の鱗に落とす雲の影は風に乗りうねるように流れる。僕は湖の淵にゆっくりと座る。岩の間からその小さな体で立ち上がり鼻をぴくぴくと効かせながら鳴きねずみたちがこちらの様子を伺っている。鳥たちは湖面の淵でその小さな美声を聞かせながら遊ぶ。

 あと数十分もすれば、下界より羊や山羊やヤクなどの動物たちが湖の淵に集まってくるだろう。湖の原始の静けさは生き物たちに永遠の安らぎと生を与える。僕は湖の水でコーヒーを煎れながら、そんな太古の光景を見つつその安らぎと生をすする。風は凪い始めて、山の端に横一直線に朝の閃光が走る。それは湖面を優しく鋭く射す。

 そして湖面は静かに揺らぐ。そして僕の心が静かにざわめく。ヒマラヤの山々の名も知らぬ一つの嶺の頂きにひっそりと浮かぶ青く静かにかつ鋭く瞬く湖、シャシー・ツォ。人が地球の奇跡だと思っている事は彼にとって数万年に一度の仕事でもそれは日常的な事なのだ。人の一生は彼にとっては一瞬の出来事だ。

 しかしその一瞬に人は熱く短く生きる。絶え間ないおびただしい物語の積み重ねがその一瞬なのだ。ここでは一生は一瞬に置き換わり、一瞬は一生に置き換わる。

 僕たちはテントを片付けると偉大なるヒマラヤのシャシー・ツォを後にした。途中眠たげな目をした羊や山羊やヤクたちとすれ違う。きっと動物たちは云うだろう。「奇跡の瞬間を見たか?」って。 

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Tuesday, 26 July 2011

52.ガルクン村。バタリク村。ツェルモ村。

 柔らかい朝の光が差し込むガルクン村を歩いている。最初のマニ車を通り過ぎるとそこから長い長いガルクン村の小径が始まる。ガルクン村の中心には木の陰より朝日が射す水路が流れており、水路に小径が寄り添っていて、小径には柔らかい光にかざされて杏の木の葉の陰が静かに揺らいでいる。

 少し歩くと女が水路で洗濯をしている。その若き女の水路の淵を見つめる眼差しは強く、洗濯物から顔を上げると、僕のジュレーの言葉にはにかみながらもジュレーと返すが、はにかむその表情の向こう側より時々僕を見つめるその眼差しは鋭い。

 女の肌は白く、鼻は高く、瞳は青色で、その東欧の美しいジプシー女やポーランド女を思わせるその風貌は岩山に咲く一輪の可憐な花のようだ。このガルクン村の人々はアーリアン系といえどもダー・ハヌーとは全く違う人種である事が一目で分かる。そしてここをさまようとそんな錯覚を誰でも起こす事になるだろう。

 ここはインドの中の東欧なのか。静謐の中に修道院でも立っていそうなそんな気持ちになる。でもここはブッディストの村なのだ。そのアンバランスな感覚が、またいっそう己の気持ちを深く広い思考の迷路に誘い込む。そして少し歩いていると頭の上に何か小さなものが落ちてくる。

 僕はその小さなものを拾うと手で2、3回拭って、口に運ぶ。杏だ。それも熟した杏だ。歯を立てると口の中でその蜜がほとばしり広がる。杏のジュースだ。それも熟した白桃と変わらぬ豊潤な味と香りを持っている。それは杏の白桃だ。

 その味は深く濃く広く、しかもその小さな体躯には似合わぬたくさんのジュースが口の中に弾け咲く。しばらく水路沿いの静かなる小径を歩く。杏の木のトンネルはまだまだ続く。古く大きな家を通り過ぎようとしたところ頭上より声がかかる。僕は見上げると朝の空気を共鳴させたのは子供たちの声だと気づくのだ。

 大勢の子供たちは窓越しに僕を見ている。彼女らは写真を取って欲しいのだ。子供たちの目は青い。まるで東欧の子供のようだ。僕は頭上の窓に向けてシャッターを切る。うまく撮れていればいいのだが。いくつかのマニ車を通り過ぎて、しばらく歩き左手の小さな家より出てくる女がいる。その女に聞く。

「ガルクン・ゴンパはどこにあるの?」

 その若き青い目の女は答える。

「5分も歩けば着くわ。」

 白い肌のその女は、鼻は高く髪の色は栗毛、目は透き通る水晶のような瞳を持ってその強い眼差しで僕を見ると、ふと視線を下げた。足下に2、3個の杏が落ちてきたのだ。女はそのうちの一つを拾って僕にくれた。僕はそれを口に運び頬張る。それはまだ少し酸っぱく自分を象徴するような未熟な味がした。

 ジュレーの挨拶をして僕はゴンパに向った。5分ほど歩くとゴンパが見えてきた。それはこの村の端に辿り着いた事を同時に意味していた。

 そのゴンパは切り立った崖のさきっちょに立っており、その渓谷を望むと遥か下には川の話す言葉がせせらぐ声になって谷に響き、向こう岸にはちょこんとチョルテンがそびえ、視線を高みに移すと青すぎる空は目に沁み、一筋の白い雲は心に沁みた。

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 バタリク村はラダック一番の低みにある村だ。そしてその気温はジャンムーとほとんど変わらないと言われる程暑い。その村の商店街はシャッターが閉まっている店が多く、ところどころに微かな緊張感が漂っていて、最前線のボーダーエリアの顔が全面に出てきており、表からは本当の村表情はうかがい知れない。

 しかし一歩村の裏に入るとこれが一遍するのだ。それはラダックの村の表情に変わる。木漏れ日、川のせせらぎ、水路にて洗濯をする女たち、古い家の窓から流れてくる赤ん坊の泣き声、カシャンブルーの咆哮、青すぎる空、そしてチーズ色の山々。いつでもどんな時でも、いとおしいあの情景が広がっているのだ。

 しかもそれは延ばせば手が届き、触る事もでき、確かめる事もできるものばかりだ。バタリク村は狭い渓谷にささやかながらに広がっており、その端は切り立った崖で、そこに立ち、前方を見るとより広い渓谷の緑が確認できる。そしてその大きな渓谷の輝く緑はグルグルドゥ村だ。

 その村の一番奥の岩に十字の白い印が付けられている。その向こうがパキスタンだ。1999年カルギル紛争の時にバタリク村とグルグルドゥ村は苛烈な戦場となった場所なのだ。両国の牙は今もお互いの胸に刺さったままだ。ゾラやディケンズを出すまでもなく、いつの時代も翻弄されるのは小さな村の住人だ。

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 ツェルモ村はバタリク村より標高を上げてきた場所の狭い渓谷に清流に沿って細長く広がっている村だ。その村の一番上のほうの清流を歩く。僕はその清流にてパンツ一枚になり水浴びをする。名も知らぬ鳥の鳴き声以外は何の音も聞こえない。その清流で体を洗う。気持ちがいいとはまさにこの事だ。

 チーズ色の山肌のささやかなる緑の中を走る清流ににしては水量があり、それに昼の太陽が射すと、岩に当たり砕けた水も気持ち良さそうに宙に舞う。その気持ち良さそうな水に飛び込むのだ。少し上流のところの岩陰から子供が覗いている。頭が一つ二つ三つ四つ五つ見える。彼らは僕と目が合うとにっこり笑いながら寄ってくる。

 僕はそそくさと着替えると、子供たちは写真を撮って欲しいとせがむ。僕は子供たちの写真を撮ってやる。それから僕は清流に沿って少し上流に向って歩く。森の中より誰かが語らう声が聞こえてきた。僕はその場所へ注意深く向う。木々の間より覗くと二人の乙女が湧かすお茶を真ん中に語り合っている。

 彼女らは僕に気づくと「こっちに来なさいよ」と云う。僕はその語らいの仲間入りをする。僕は出来上がったバター茶をすすりながら乙女たちととりとめの無い話をし、木陰の風薫る中、こんな素敵な日もいいなと少し思う。

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Monday, 25 July 2011

51.コクショー村。

 コクショー村に到着したのは昼の太陽が傾きかけた頃だった。相当疲れているようだった。その証拠に僕は村の入り口のところのゴンパが頂上に立っている岩山の麓に息を切らせつつ大の字で寝転がって太陽と曇り空を見ている。チクタン村からの徒歩での太古の山道の18キロはけっこう長く感じた。

 朝出発してコクショー村に到着するまでに5時間かかっている。コクショー村は標高が高く、空に近く、そしてこの地区に移り住んだ始めてのダルド系民族の村でもあるのだ。ダルド民族はかぎ鼻に、太い眉、濃い髭、そしてよく澄んだ茶色の瞳を持っている。

 コクショー村のダルド族は、伝えられるところによると、ダルゴ村より王が民を引き連れてここに分け入ったらしいのだが、こんなヒマラヤの幽谷の一番深くかつ遥か高みのところに村を作った彼らの恐るべし開拓者の血脈には目を見張る物がある。

 世界には不思議な民族がたくさんいて、例えばエスキモーなどはなぜあのような過酷な場所に移住して生活をするようになったのか、南下すれば気候も温暖で、食料はもっと手に入りやすだろうにと思われているのだが、説はさまざまあって、未だ確証に至っていないのである。

 このコクショー村のダルド系の人々も同じように利便性を越えた何かがあるのか、それが必然性だったのか、はたまた時代のただの気まぐれであったのかは今となっては知る余地もない。

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 岩山の上のほうから声がかかる。僕が見上げると紅の袈裟を羽織ったラマ僧たちがゴンパから顔を出して、登ってくるように促している。僕は頂上にあるゴンパまで登っていく。腹は減ってないかと聞かれ、少し減ってますと答えると、今からみんなで食事をするので一緒にどうかと聞かれ、恐縮しながらも僕は同席する事にした。 

ゴンパの中に入ると奥から上座となっており僕は入り口近くの下座に座る。中は薄暗く窓から射しこむ光が、時に体を預けるままに漂っている無数のほこりをきらきら輝かせている。

 ゴンパはおおよそ20畳ほどの狭い空間で、中央には空き缶で土台が作ってある大味な立体的な曼荼羅を模したものが作られており、正面の壁には天井まで届く程の色鮮やかな釈迦座仏が鎮座して、その周りの壁はほこりをかぶった仏典やら小さなたくさんの仏像が古いガラス棚の中で眠っていた。

 ラマ僧たちに諭されて僕は壁に背、正面に立体曼荼羅というような向きで座ると、大皿が渡されて、上座より飯とおかずが取り分けられていく。飯の上には豆のスープ、野菜のスープ、チーズを揚げたもの、山羊の乳で作ったヨーグルト、トマト、きゅうりなどが盛られている。

 味はチクタンエリアで食するものとまったく違い、どことなくはんなり西洋風な味付けがする。ラマ僧たちは沈黙と云う名の歓喜の中でもくもくと食事をする。

 その周りを忙しく回っている小男がいる。ラマ僧たちの世話係だ。

 小男は皿の飯が減ってくると追加する。スープが減ってくると追加する。水が少なくなると追加する。そして忙しく駆け回っている。食事の最後に小男が大皿に並べられたバナナを上座より取り分けていく。ラマ僧たちは慎重に目視で少しでも良い物をと選んでいく。

 バナナは交通手段の関係で、みんなひどく痛んで真っ黒やつばかりなのだ。僕は最後に皿に残ったやつを頂く。黒い皮をめくるとまさにとろりと痛んで溶けているので、それが崩れ落ちる前にかぶりつく。見てくれと食感は悪いが、味はみな同じだ。形あるものが口に入る前にただ壊れただけだ。

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 その時、奥に座っていた老僧の手にある鈴が「ちりん」と鳴る。左壁の大きな体躯の僧の枯れた浪曲師のような声で読経が始まる。暗みと光の部屋に経が広がり始める。その後に続いて他の僧たちが各々の音の高低の経を持って、経に絡み付いていく。大きな体躯の僧が経の骨太の部分を努める。

 それに自由に即興で絡んでいく他の僧たち。時々骨太な経にその上を行く太いのがのしかかる。それでもリードの経は動揺せずにその浪曲的な声を鳴らす。経の掛け合いは進み、僧たちのブルージーな読声は部屋の隙間に充填され、流れ、漂い、迷い、広がり、壁の中へ溶けていく。

 また老僧の鈴が「ちりん」と鳴る。僧たちはゆっくり立ち上がり、その内の二人の僧が横たわる角笛に命を吹き込む。角笛が鳴く。高く広くそして良く鳴く。鈴が鳴る。角笛が鳴く。次に僧たちは立体曼荼羅を中心に右回りに歩き出す。大きな体躯の僧のリードの経に、他の僧たちがまた即興で絡み付いていく。

 僕も促されその歩む円陣の中に入っていく。経が踊る。僧は回る。

 僧たちの経の即興演奏は、低く垂れ込める雲の下の小さなお堂の中で、生まれては消えていく径、たたみ込まれるように読まれる経、空間に淀んでいるだけの経、それらの経たちは、たちどころに上昇し、膨らみ、吸収し、同化し、分解し、霧散しつつを執拗に繰り返し、そしていつしかお堂の屋根に座って様子を見ていた真夏の昼の夢の妖精たちが、それらと戯れるタイミングを伺っていた。

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Sunday, 24 July 2011

50.ヒマラヤの谷のチクタン城。

 午前の透き通る光を背中に浴びるチクタン城(チクタン・カル)は、その肌に刻む光と影が夏の木の葉の向こうで優しく揺れている。チクタン城がそびえる岩山は急勾配であり、現在城までの道はない。

 だが今その麓から仰ぎ見ると大勢の職人が岩山を削りつつ石を担いで登っていき、それを使って城までの新しい道を作っているのが確認できる。ヒマラヤの谷が騒いでいる。

 そして僕はチクタン城に登る。がれ石や浮き石に足を取られないように一歩づつ登っていく。岩山の中腹の大勢の職人たちが道を作っている場所まで登っていく。最後の一歩に彼らは僕の手を掴んでその場所まで引き寄せてくれる。

 僕はサングラスを取ると近くの石に腰を下ろし、職人たちから話を聞いた。インド政府から助成金がでて、五ケ年計画でチクタン城を修復するのだそうだ。2000000ルピーが政府から支払われると云う。

「ひゃっほー。」

 僕は喜びのあまり大声を出しつつ、飛び上がり、2メートルほど滑落した。なぜならばこの修復事業は、僕がチクタン入りしてから行政に働きかけてきた事だからだ。もちろん僕の働きかけが功を奏したと思うほど自分は天狗ではない。きっとあらゆる事象のタイミングが良かったのだ。

 僕はチクタン城ファンドの計画も村人と立てており、世界中から寄付を募って、10年以内に工事が着工できればいい方だと思っていたのだが、その夢が4ヶ月で叶うとは本当に信じられなかった。岩山の山頂の城までどうにか登り、僕はそっと撫でてからチクタン城にキスをすると、目の前に広がる谷を見下ろす。

 右に青く光る谷はズガン地区であり、中心をとうとうと流れるカンジ・ナラの水は、果てのない奥に影となってゆらいでいるヒマラヤの嶺々に向って疾走している。

 左に緑香る谷はカルドゥン地区であり、その深く広い麦畑の表面は風で踊り、岩山の斜面に立つ干しレンガの家々は悠久の時を隔てた今も昔と変わる事なく人々の生活の場で有り続け、背後に立つチクタン城だけが壊され、作り直され、壊され、作り直されが繰り返す歴史となって、今この瞬間はどうやら作り直される周期に入ったようなのだ。

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 チクタン城の麓に広がる青く輝く麦畑のあぜ道を歩いている。秘密の素敵な場所があると云って、子供たちが僕の前を歩いている。振り返ると風そよぐ緑のフィールドの向こう側に凛とした佇まいのチクタン城が見える。昨日まではただのくたびれた遺跡だったが、今となってはたいへん誇らしげに見える。

 彼は背筋をしっかり伸ばして、胸を張って僕を見下ろしている。そんな彼の視線を背中に感じながら、僕は子供たちの後に続く。麦畑の奥は段々になっており。その間にかぼそい水路が流れている。

 今度はその水路沿いを歩く。水路の上には次から次へと濃い緑の涼しげな木々が覆いかぶさっており、その木のトンネルは僕らをどこかに誘ってくれる予感がある。

 木々を通して向こう側にチーズ色の岩山がそびえたち、右から左へとそれらは連なっていて、青く濃く塗りたくった空の部分と山の端の部分が美しく孤高な一本の線を描いている。しかし木々のトンネルはまだまだ終わらない。木々が太くなってきているのを感じる。

 奥に行く程太く立派な古木になっていて屈強なトンネルを翁たちは水路の上に作っている。トンネルを抜けるとそこは翁たちが一面に枝と枝を絡み合わせて、広く大きな傘を天空に作っている。視線を足下に落とすと、辺り一面に湿原が広がっており、それらの一滴一滴に古木の深い緑から射す、輝く透明な光が反射している。

 その場所より一段高いところにも緑が広がっており、木漏れ日の下、自然の芝生が広がっていて、僕と子供たちはそこに大の字に横たわる。

 目の前の木々の間にできたサークルから青い空が顔をのぞかせる。白と黒と青が目にしみるようなカシャンブルーたちが、咆哮しながら僕たちの頭の高いところを旋回しているのが見える。そして子供たちが口々に云う。

「チクタン城の修復か。」

「エヘヘ。」

「直ったチクタン城ってさぁ。」

「うんうん。」

「なんか、こそばいなぁ。」

 湿原で遊んでいた子供たちが、手のひらに沢山の小魚を捕まえて戻ってきた。子供たちの手のひらで跳ねたり踊ったりしているたくさんの小魚が、午後のものうげで眠たげな光を受けている。僕も魚とりに参戦するが、なかなかうまく採れない。指の間からつるりとそれらは逃げていく。僕たちはとにかく夢中になって遊んだ。頭の先から足の先までどろんこになって遊んだ。そして青々とした芝生の上、僕らは午後の風が薫る中、横になってまさに泥のように眠った。

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 村に戻った僕は井戸の水でどろんこを洗い落としている。全身を石けんでしっかり泡立てる。水路の横にある水飲み場の井戸より水を汲み上げる。桶に水をなみなみと入れて、頭から一気にかぶる。何度も水をかぶり体についた石けんを奇麗に洗い流すと、最後にもう一度桶に水を汲んで、今度はそれを口に持っていく。

 午後の陽光を受けて輝きながらほとばしる豊潤ではんなりと甘い、桶から落つるその水は、乾いた僕の喉を一気にうるおす。僕は右手の甲で口についたその豊潤なやつをぐいと拭い取った。

 タオルで体を拭いている時、僕は一本の電話を受けた。7月下旬にタイ人・アメリカ人・フランス人の大学のグループ24人がチクタン村入りすると云う、しかも一ヶ月滞在したいという事だ。チクタン村始まって以来の出来事に電話のこちら側は湧き、僕の目も少し潤む。そして最後にアメリカ人は云った。

「チクタン城修復のために、いくら用意すればいい?」

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Saturday, 23 July 2011

49.コクショー村への道。

 僕はチュリチャン村での友人の結婚式を終え、チクタン村に帰る途中一人の男に出会った。その男は頭にちょこんとリボンがついた茶色の帽子をのっけ、口の周りに白い髭を蓄え、背中に2、3の荷物を背負ったブッディストの老人だった。僕は老人に訪ねた。

「ガルソミン?ガルチェ?」

 どこから来てどこへ行くのかと聞いてみた。老人は答える。

「ボド・カルブー村からビャマ村までいくところじゃ。」

 老人は二回大きな咳をして、右手を大きく上げながら

「ジュレー」

 と言うと、僕にその担いだ荷物の背中を見せつつ、ゆっくりとした足取りでビャマ村へ向った。たとえ老人であっても、それが剛健な足である事は僕にはすぐに分かった。なぜならばボド・カルブー村からビャマ村は30キロ以上あるからだ。逞しい足でないと、とてもこの距離を完遂できないだろう。

 チクタンエリアを貫いているこの道を、カングラル村からサンジャク村まで横切ろうとするブッディストの人たちをよく見かける。老若男女、みんな日に良く焼けているけれど、涼しい顔をして、近所に玉ねぎでも買いにいくかのごとく、その足取りは非常に軽い。

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 朝方降っていた雨も、今はすっかり上がり、雲の間から太陽が顔を見せたりしている中、僕はチクタン村に歩を進める。陽は神秘の光を林に射し、しっとりと濡れ青く濃く香る木々たちは、その葉の下に七色に輝く小さな羽衣を架けている。そんな道を歩いていると後ろから一台の車がやって来た。そのクラクションは僕の歩を止めた。

「どこまで行くんだい?」

「チクタン村まで」

「乗せてってあげるよ。」

 僕は男の車に乗り込むと、車はさっそく出発した。男は僕の事を名前まで知っていて、しかし僕は男の事を知らない。チクタン村での生活が長くなると、どこかで出会って自己紹介もするが、その僕自身が相手の事を全く覚えていない事がよくある。

 道を歩いていると、車が通りすがりに僕の名前を呼んで挨拶を交わす事がよくあるのだが、当の本人はまったくその運転手の事を覚えていないのだ。

 そこで「やぁ」とか「ひさしぶり」とか「元気でやってる?」とか云う返答をしてお茶を濁すのだが、やはり心の歯車がうまく噛み合ず、歯車の不協和音のぎしぎしした音が二人の間に若干の影を落とす事がよくあるのだ。

 男の仕事は電気技師であり、まだ未婚だという事は分かった。そして男は云う。

「チクタン村に行く途中で、ちょっと寄りたいところがあるんだがいいかな?」

「どこに寄るの?」

「コクショー村。」

 男の話ではコクショー村の入り口付近で、送電線工事の物件を持っていて、現場で働いている職人たちに指示を伝えにいきたいらしい。このコクショー村というところは、僕の中でも1、2を争う神秘な村で、とにかく遠いというのとバスも通っていない不便な場所なので、行く機会をずっと逸していたのだ。

 もちろん僕の返事は「オーケー」だ。なぜこの村が神秘的なのだと云うと、このエリアではダルト系の人々によって作られた始めての村であり、同じ系統のダー・ハヌーやビャマが霞んでしまうほどの謎が多く素敵な村らしいのだ。

 またその伝統的文化は、最近特に注目されており、フォークダンス、ミュージック、花の文化、摩訶不思議な結婚式など、驚くべき神秘なところがまだまだたくさん眠っているという噂も囁かれている。

 カルドゥン村手前にある年代不明の崩れかけたチョルテンを左に曲がるとコクショー・ロードが続く。ここからのコクショー村までの18キロ区間は全く村は無く、ダートな道が続き、かなり大変な道のりだと言う事を聞く。

 この道沿いに渓流が流れていて、それはチクタン・ルンマと呼ばれており、その両岸は険しい砂や岩の山肌がずっと続くのだ。道は渓流に沿って続くが、真っすぐに伸びているその方角には遮る物がなく、目の前のとてつもなく奥にそびえ立つヒマラヤの山脈の頂上まで続いている気配がある。

 道は徐々に高度を上げていくが、自身の存在以外には人の痕跡がまったく感じられず、ヒマラヤの裸の荒野が目の前に広がりを見せながらも、上空では風が孤高なまでの音を奏でている。

 僕はきっと気づくのだ。人の痕跡が感じられないのではなく、人の痕跡をこのヒマラヤの荒野が飲み込んでいるのではないか。

 人は荒野を支配したつもりでも、荒野は始めから人間なんぞ意識下になく、その絶え間ない寡黙な太古がここには生き続け、人間の爪痕なんぞ一瞬の出来事で、つぎの一瞬には、太古なヒマラヤの荒野が何事も無かったようにまた続くのではないか。そんな事を考えながらもチクタン・ルンマの峠に到達する。

 車を止め、僕が振り返るとヒマラヤの嶺々がはるか彼方まで波打っているのが分かる。1ルピーコインがポケットからこぼれ落ち、ヒマラヤにゆっくりと共鳴する。キーン。カーン。太古に立てた爪の音だ。そして車は再び高度を保ちながらヒマラヤの尾根を走っていく。

 いつの間にか風はやみ、偉大なるヒマラヤのしんしんとした砂漠の中、車の音だけが反響の増幅を深める。荒野もまた太古の砂漠であり、砂漠もまた太古の荒野であるのだ。

 ゆっくりと流れる雲の間の青の向こう側に宇宙が見える。それもまた人が神と呼んでいる太古の宇宙なのだ。尾根の谷間に人の痕跡の緑が光ると、僕は今なお生き続けている太古の瞬間上にある現在と云う一点に引き戻される。そしてコクショー村が見えてきたのだ。

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Friday, 22 July 2011

48.天空へのタクシー。

 カルギルにてラダックの名川スル・リバーに架かる深紅のプエンブリッジ付近に各村々行きのタクシーが所狭しと並んでおり、シェアする乗客を掻き集めている。僕は一台の白いタタ製の四駆に目星をつけて声をかけてみる。

「このタクシーはどこ行きですか?」

 良く肥え、良く日に焼け、良く働きそうな手を持つその運転手は答える。

「シャカール村へ。」

 僕は瞬時に頭の中で村へのルートを構築する。カルギルーカングラルーチクタンーシャカルドゥーシャカール。このタクシーは途中チクタン村には必ず寄る事になるはずである。僕はさっそくお願いする事にした。

「このタクシーへのブッキングをお願いします。」

「オッケー。12時に出発するので、それまでにここに来てくれ。」

 運転手はそう言うと、よく働きそうなその手を差し出した。

 白いタタ製の四駆は乗客を詰め込み、砂埃を巻き上げながら、夏が緑濃く輝くパスキュン村の中を走っている。右手の谷の深いところには両岸のヒマラヤ山麓を削り取りながらのワカ・リバーが流れている。ここ数日ラダックは夏の空気に包まれている。

 六月下旬から空気が入れ替わり、夜はすでに冬の衣を脱ぎ捨てて、青く薫る夏に包まれている。ゆっくり漂う雲の下、向こう岸の山の高いところに、黒や白の点の群れが跳ねたり飛んだりしながら少しずつ移動しているのが見える。羊たちだ。彼らも夏の緑を追い求めているのだ。

 前方にまた緑の固まりが、壮大なチーズ色の山肌の中に、濃厚に輝いているのが見えてきた。ロッツン村だ。この村を通り過ぎワカ・リバー沿いに進むと次はシェルゴル村に入る。
 
 その時、車はロッツン村より左の細い脇道に逸れていくのが分かった。あれあれ。僕は一瞬考え、そして悟った。車はこの脇道を使い、僕にとってはとてつもなく、謎の、未知の、神秘の、不思議な裏道に入り、シャカール村までショートカットしていくつもりなのだ。ということはチクタン村には寄らないと言う事になる。

 しまった。ここで降ろしてもらってもチクタン村行きのタクシーが通らなければ、この村で夜を過ごす事になるので、それは心寂しいし、心にうろが出来そうなので、また未知の世界への誘惑も手伝って、僕はこのまま同乗する事にした。

 僕はこのリンクロード沿いにある魅惑の村々の名前だけは知っており、時々名前を思い出しては村の様子を想像して、一人夜の暗闇の中でほくそ笑む事がある。なかなか行く事ができない遠き村々がこの道にはいくつも咲いているのだ。

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 車は細い砂道を右へ左へとお尻を揺らしながら、奥へ奥へと、深山に分け入っていく。この道に沿って陽に美しく輝く細い渓流が流れており、濃く薫る林に囲まれている並木道は、ある部分は夏の透明な影を作り、ある部分は何本もの光のすじを抱擁している。

 濃く青い緑の中に茶色がぽつりぽつりと見えてくる。ターチャ村が見えてくる。その緑の中に入ると干しレンガで作られた家々がこの細く遠い谷に集まっていて、時折その村の子供たちが投げかける言葉は夏風に乗って車まで運ばれる。

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 またしばらく渓流沿いを走る。細い谷が徐々に太くなっていき、奥にも広がりを見せつつ、輝く緑は谷一杯に膨らむ風船のような広がりを見せ始める。右側の頭のずっと高いところには、蒼々たるヒマラヤの頂きの嶺々が空の青いところより垂れ下がっており、天空に架かるそのカーテン様相が僕を楽しませてくれる。

 緑の部分がカリット村であり、天空の嶺の一つが今回越えるべくカルダン・キルダン・ラ(峠)である。カリット村は大皿の底に緑を敷き詰めたような作りになっており、その一番深いところに渓流がさやさや涼しげに流れていて、大皿の端の高い部分がヒマラヤ山脈の嶺々になっている。

 車は砂煙を巻き上げ、エンジンの回転数を上げつつ、カリット村を寡黙に通過して高度を徐々に上げていく。仰ぎ見るとつづら折りの道が天空を駆ける龍のごとくカルダン・キルダン・ラに巻き付いているのが見える。車はその龍の背中をえっちらおっちらと登っていく。

 次第に立ちはだかるチーズ色の嶺が目の前に迫ってくる。見下ろすと緑の輝きが小さく大皿の底に佇んでいる。風は徐々に強くなってきて、ヒマラヤの上空の冷たい空気は開け放した窓から容赦なく車に入り込んでくる。そしてカルダン・キルダン・ラの頂上に辿り着くころには心以外は冷えきっているのだ。

 後ろには今登ってきたカリット村より伸びているつづら折りの龍の背中が見え、前方にはこれから降りていく壮大で静かなる丘陵地帯が僕を待ち構えている。チーズ色の山肌は反対側に降りるとチェリー色の山肌に変わっており、その嶺付近には黒い無数の点が駆け巡っている。

 すり鉢状の丘陵はとても美しく、チェリー色の山肌に車が近づいていくと、黒い点がドンキーの群れだということを知る。

 そこで僕はある記憶を思い覚ます。

 美しくもうら寂しい東北の半島の道を86年式アウトビアンキで走っている。

 左手に朝日に照らされた津軽海峡を見ながら一つのカーブをゆっくりと曲がると、そこには壮大な丘陵が長く広く海に向って緩やかに勾配しており、その先端には風の歌を口ずさみながら光と戯れている白亜の灯台が、そしてその周りには黒いどっしりとした数百頭ものドンコ馬が風で流れる草原の草をついばんでいる。

 そこにあるのは海の音と風の音と草のざわめきだけだった。僕が今目の前にしているこの驚くべきヒマラヤの嶺の姿は、まるで天空の尻屋崎とでも云おうか。

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 美しき素晴らしき愛すべきヒマラヤの風景の中を突き進み、緑と花で埋まるラムス村とその泉を車で渡り、シャカール村に急ぐ。車は天空から徐々に舞い降りていき、深い歴史と緑が香るシャカール村に辿り着いた。

 僕は車を降り、黄昏時の茜色の空を仰ぎつつ、靴の紐をきつく結び直し、リュックをしっかり背負うと、チクタン村への一歩をゆっくり踏み出すのだった。

Wednesday, 20 July 2011

47.チクタン村の結婚式。



チクタン村での結婚式の朝が来た。最近はからっと暑い日が続いていたのだが、今日は暑くもなく寒くもなく、雲は垂れ込める事なく流れて、陽の光は豊潤な大地に強い光と淡い影の抑揚をつける。朝食を早めにとると僕は花嫁の家に向った。花嫁の家はチクタン村の中心を流れるチュルングスを挟んで右岸の丘の斜面にある。

 家に近づくと玄関のドアの隙間より音楽が洩れ出してくる。僕はドアより花嫁の家に入り、音がする部屋に向う。しかし部屋のドアを開けて一歩は入ろうとすると、「NO」の一言。僕は扉の中に入る事が出来ず、洩れ出す音を目の前にはやる心は見事に宙に霧散した。

 今まで結婚式での踊りの撮影ができていた事は驚くべき事だったのである。

 というのも実を云うとこの場というのが男子禁制の場であり、女と子供しか入る事が許されないところだったのだ。

 と言うことは今まで僕は男としては見られていなかったと言う意味で、本日見事に拒否されたと言うことはチクタン男子の仲間入りが出来たと言うことにもなり、たぶん目出たいことではあるのだけれども、今後の取材が大きく制限されるかもしれないので、半ば心苦しくもあるわけなのだ。

 とりあえず花嫁の家の周りを一周してみる。するとどうだろう。この家の二階の窓や隣の家の屋根に入りきれなかった子供たちがよじ登って踊りを鑑賞しているではないか。僕は「NO」と云われて「はい、そうですか」と聞くような真面目な男ではないので、二階の窓にいる子供たちに飴とカメラを投げて中の様子を撮ってくれと頼む。

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 そして待つこと数十分。出来上がりほやほやの映像を見ると、移っているのは床、背中、天井、背中、床、天井、子供の顔のアップと踊りの映像からはほど遠い子供たちが撮ったの余興の映像でしかなかった。これで僕は踊りの映像を手に入れる事にきっぱりあきらめがついた。

 で集まってきている子供たちとは友達になれたので、僕の持っているモバイル(と言っても通信機能はないです。)で彼らは遊ぶ遊ぶ。ゲームをして遊ぶ。一つのモバイルの周りに十数人の子供たちが円を作る。モバイルの画面が壊れるほど強くタッチパネルに触るのでパネルがギシギシ悲鳴をあげる。

 朝食のカレーが手についたままの子供もいたので画面がどんどん黄色になっていく。僕のモバイルはそれでも適応が早くてどんな厳しい環境においても壊れない自身があるらしい。モバイルが僕の手元に戻ってくる頃には(いつもの事だが)いくつものアプリケーションが削除され、いくつものビデオ映像が削除され、いくつもの音楽が削除されている。

 でも僕のモバイルは事が終わると何食わぬ顔で必要な仕事をこなしてくれる頼もしく寡黙な友人なのだ。しかも日を追うごとにより寡黙になりつつある。きっと日本に持ち帰り同じ商品を横にして並べても僕のモバイルは全く別の何か分からぬ物質になっているだろう事は容易に想像できる。

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 どうやら広場で結婚式に集まった人々のための昼食の用意ができているらしいので、みんなこぞって天幕が張ってある広場に集まる。僕も適当な場所を選んで座る。僕の周りには隣村のカルドゥンからやって来た人たちで一杯になる。

 僕の前に座った男がクッキーを摘みながら奇妙な英語を駆使して云う。

「どこからか?あなたは」

「日本から来ました。」

「あなたはオフィサーですか?」

「僕はオフィサーではありません。」

 ここでいうオフィサーとは大学でオフィサーの資格をとって、政府系カンパニーで働いているすごい人なのかという意味である。

 前述した事があるがこの政府系カンパニーというのは非常に問題が多くて、給料はいいが、中にいる人たちはろくな働きをしていなくて(もちろんよく働く人もいるのだが、一般論で語っています。)、トップの連中はこのオフィサーという肩書きのある不思議な人たちで固められており、かなりの利権にまみれていて、プライベート・カンパニーの入る余地がこのエリアでは余りない状態なのだ。

 一つ例をあげると政府系の学校がチクタン村にはあるのだが、そのとなりにこのエリアでは数少ないプライベート・スクールがある。政府系の学校の先生はどういう訳かあまり仕事に熱心ではない。惰性で授業をしているような先生が多くて、お茶の時間が非常に長いのだ。

 一方となりのプライベート・スクールは少数先鋭の先生たちばかりで頭脳は明晰で、向上心にもあふれており、授業は本当に熱心なのだ。政府系の学校の先生たちの給料の平均は月20000ルピー。プライベート・スクールの月平均は4000ルピー。

 冬期は学校は休みなのだが政府系の学校の先生方は給料が休みでもまるまる出て、プライベート・スクールの先生方の給料は冬期には出ない。ほんの一例だが政府系の学校の先生とプライベート・スクールの学校の先生の待遇面での格差は激しい。しかし生徒の質の面から考えるとこの状況は逆転する。

 プライベート・スクールの生徒たちの方がおなじクラスレベルでも格段に明晰なのだ。ここで赤貧の家庭は政府系の学校にしか子供を行かせてあげられず子供たちの間で言われなき格差が広がる。闇は深くその原因も村人は良く知っていて、僕は彼らからそんな話を話される。
 
 昼食のバトゥーを村人たちで食しながら、結婚を祝う。歌が歌われ、新郎の友人たちに付き添われ、バグモの顔見せも終わり、華やかな雰囲気の中、チクタン村での結婚式が終わる。この昔から続いている一見華やかで伝統的な結婚式も、赤貧の村人たちの相互扶助で成り立っているのだ。

 なけなしのお金と物を出し合い、この村を挙げてのパーティにささやかな喜びを見つけるのだ。それでもいろんな問題が山積しているチクタン村の人々の表情は明るい。僕はカシャン・ブルーがオレンジに溶け出す黄昏時にスコップを持って額に汗して田畑に通す水路をひとり作りながらそんな事を考えた。

ladakh


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