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Sunday, 2 September 2012

22.チクタン村の話 その11。〜ハヌーのさらに奥へ(ハヌー・カスカス村編)

ハヌー・カスカス村の朝日は優しく静かだけれど鋭く、地球の果てのこの大地に今日の光を賜与していた。テント這い出た僕は、まだ眠たげな空気の中、眠い目をこすりつつ、ブランケットに包まれながらお茶をすするのだが、それでもまだ夢の中に入るようだった。朝は近くの湧き水で顔を洗い歯を磨い、そして小さな散歩を試みる。ハヌー・カスカス村いつもの変わらない人々の朝の営みは、いつも変わらず村の中心を流れる清流のように、清らかでいてきらきらと輝いて見える。静かに佇むマニ車。村人がそれを回すとチンコロと音をたてゆっくりと回り出す。山の端の背より差し込んでくる朝日。ティーカップに落ちたその光は波紋を少し紅茶に広げる。家の入り口で語らう親子。いたるところに小さな幸せは落ちている。そしてそれは隠れもせず、どこででも感じる事ができる。朝食の準備の間、僕らチクタングループは、少しだけ疲れた体を起こして、昨日の続きと言わんばかりに、まだまだ踊り続けた。夏の終わりの夢はいつまでも覚める事はない。朝食が終わると僕たちはテントを片付け、炊事用具を片付け、そして車に乗り込んだ。

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Saturday, 1 September 2012

21.チクタン村の話 その10。〜ハヌーのさらに奥へ(ハヌー・ゴングマ村編)

ラマザーンもあっと言う間に終わりを告げ、一ヶ月前と同様に再びチクタン村にピクニック・シーズンが訪れる。朝の空気は天国が透けて見える程澄みわたり、ヒマラヤの夏が色濃く漂う深緑は少しお茶の香りがする。静かな日常がなんだかそわそわと浮き足立ってくると、僕らは車にテントと炊事用具一式を詰め込み、最後にチクタン村の仲良し9人組が小さな器に練り入れられた小麦のペーストのように押し込まれ、その小さな車は息を切らせつつ出発した。

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Tuesday, 10 July 2012

20.チクタン村の話 その9。

チクタン側の峠を抜けて、波打つヒマラヤの峰々を通り抜け、最後の峠も抜けようとする所であっと息を飲む。界下から風が吹き上がり、その深い谷の下の方に緑の宝石が開けて来た。 「コクショー村だ」 なめし革色のヒマラヤの山々に囲まれたその美しい緑の村は、隠れるようにひっそりとそこに佇んでいた。村に中には小さなゴンパも見え、まるでここは時間が止まって現代ラダックからも取り残されたかのように感じられる。コクショーの峠から急斜面にあるつづら折りの道を車で降りていく。そのつづら折りを下り切ったところから見上げると、ゴンパが小高い崖の上に鎮座しているのが見えたので、僕たちはゴンパに続くなだらかなスロープを歩く。その小さめのゴンパをぐるりと一周して、正面に辿り着くと、扉に鍵がかけられており固く閉ざされているのが分かる。ゴンパのある高台から村を望むと、狭い谷に美しい緑が広がり、左手奥の山の麓にに村が固まっているのが見てとれる。その手前の麦畑のあぜ道に子供たちがこちらを見ている。ドライバーが大きな声で子供たちに何かを問いかけている。子供たちも大きな声でそれに答える。しばらくするとその子供たちがゴンパまでやって来ると、その手には大きな鍵を持っている。子供たちはその鍵でゴンパの扉の鍵を外すと、それは静かに開き、淡い闇の中にお釈迦様の座像が浮かび上がる。僕たちはそのゴンパに静かに入り込む。小さな窓からは差し込んだ光は、きしむ床にその姿を刻んでいる。鎮座している釈迦象は静かに微笑んでいるように見え、周りのほこりを被った木製の戸棚の中には数多くの小さな象が並んでいた。去年来た時には多くの僧たちが集っていたのだが、今日は姿が見えないようだ。このお寺には青い目をしたお坊さんがたくさん修行していたのを覚えている。このコクショー村自体はダルト系の民族が一番始めに住み着いた所だと言われていて、チクタン村と同じように多くのフォークダンスとフォークソングの無形の文化を抱えている。それが披露されるのは年に数回あるフラワーフェスティバルで、日にちは年ごとに違うし、特に宣伝はしていないのでドンピシャそのフェスに当たる日に、訪れるのはなかなか難しい。去年僕はいち早く情報を捕まえて向ってみたのだが、それでも一日違いでフェスを見る事が出来なかった。

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Monday, 9 July 2012

19.チクタン村の話 その8。

今日はチクタン村に嬉しいお客さんが来る。日本人の方がこの谷に入ってくるのだ。到着日程だけしか聞いていなかったので、到着時間は分からず、朝よりチクタン村の橋のふもとでバスかタクシーが到着するのをのんびりと待つ事にした。近くのカンジ・ナラの川の流れは勢いを増して激しい音をたてている。ヒマラヤの夏の日差しは眩しく日陰で待つ事のする。学校の昼休みに子供たちがおのおの家に戻ってくる。そしてその途中で子供たちが声をかけてくる。 「何してるの?」 「今日、日本人観光客がチクタン村に入ってくるんだ」 すると子供たちはとたんに目を輝かせ始める。 昼過ぎさらに太陽は眩しさを増す。鳥たちもこの暑さで木陰で羽根を休めている。彼方にチクタン城が見えるが陽炎のように揺らいでいる。しばらくするとまた子供たちは学校に戻っていく。

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Sunday, 8 July 2012

18.チクタン村の話 その7。

黄昏に夜が忍び寄ってくる頃、毎夜チクタン村にエンジンの音がこだまする。 ・・・ドルゥン・ドルゥン・ドル・ド・ド・ド・ド すると柔らかな闇と星に包まれていたチクタン村にポツポツと光が灯る。夜8時、チクタン村の小さな小さなディーゼル発電所から家々に電気が運ばれてくる。発電所の近い家から順番に火が灯るのでクリスマスのイルミネーションのように光は動きそして走る。午後8時から午後11時までの3時間電気が供給される。たまに燃料が尽きて火が灯らない日もあるが、それも愛嬌だ。各々の家はこの三時間を使い、メディテーションや夕ご飯そして子供たちは勉強の時間に充てる。そして僕は夜11時が近づくと家の屋根に登る。小脇に寝袋を抱え、少しだけ傾いた古い木製の階段を軋ませながら登る。階段の出口は天に向かって開いており、その四角に切り取られたキャンバスには色とりどりの星たちが瞬いている。ついに屋根に登るとキャンバスは空一杯に広がり、天空は輝きを増し、ヒマラヤの右手の嶺から左手の嶺へ宝石を散りばめたような天の川がしんしんと流れている。屋根にブランケットを敷き、その上に寝袋をのせ、寝袋の中にももう一枚ブランケットを仕込む。さっそく寝袋に潜り込むと、屋根のいたるところから家族のヒソヒソとささやく声が聞こえる。チクタン村はモンスーンの合間の束の間の星空なので、今日は屋根で眠る人たちも多い。そして午後11時の音が消える。 ド・ド・ド・ド・ト・ト・ト・・・! チクタン村のほの暗い灯りが消えていく。ヒマラヤの静かな夜の中、消えた灯りの代わりにいっそう輝きを増す星たち。各家の屋根からは再び子供たちのささやく声が聞こえる。動物たちも眠りについたみたいだが、時折遠くの方からドンキーのいななきが明るい闇にこだまする。僕は寝袋を頭まですっぽり被り、目だけを輝かせながら、この時間を逃すまいと星空を観覧する。ヒマラヤの夜の空気は冷たく、吐く息は白く漂うが、寝袋の中はほんわかと暖かい。子供の時分は星座の名前をたくさん覚えていたのだが、今目の前に広がる星をみて、かなりの星座の名前を忘れてしまっている事の愕然とする。子供の時は覚えていたのだけれど、大人になり擦れっ枯らしになってしまい、忘れてしまった事が他にもないかと指を折って数えてみる。するとその刹那、天に舞った打ち上げ花火の消えた跡の残り火のような光が、サァーと四方に散らばり落ちていった。 ・・・流れ星・・・!! 目の端の方で瞬いては落ちていき、それは一人だったり、双子だったり、三つ子だったりする。それを目で追おうとすると、また目の端で瞬く。あっと思い、また目で追ってみる。各屋根からは小さな拍手が起こる。そんな時間が数分続くと流れ星も落ち着きを見せ始めた。しかし星たちの輝きは落ち着かず、この世に存在するあらゆる色彩を使って瞬いている。瞬きにもリズムがあり、一瞬大きく瞬いたかと思うと静かに沈黙に入る星、小さな瞬きを絶え間なく繰り返している星、大きな瞬きを絶え間なく繰り返している星、瞬かず強い光を発し続けている星、大きな瞬きと小さな瞬きを繰り返している星、宇宙は絶え間なく生きていて、今の一瞬を過去の一瞬とシンクロさせているこの瞬間の不思議さゆえのある種の感動が心の中に芽生えているのを感じる。またそんな刹那、目の端で光が瞬き広がり落ちていく。そんな流れ星のサーカスの公演は予告無しに始まり予告無しに終わる。北斗七星が傾いていき北の淵に沈んでいく頃、僕は深い眠りについた。 眠っている間も星の公演は続いている。そして夜がいっそう深まり、朝を待つ時間帯にポツポツと各々の家にロウソクが灯り始める。朝4時から5時の間に朝のメディテーションの時間が始まるのだ。しんしんとした静けさの中、眠い目をこすりながら村人は神に祈りを捧げている。 東雲の空が夜を静かに掃除し始めた頃、僕は静かに目を覚ました。山の端が白くなり始め、一番鶏が鳴くが、まだ日は昇っておらず、チクタン村は山の陰にあった。夜の生き物たちは眠りに付き始め、昼の生き物たちが目を覚まし始める時間だ。僕は寝袋から半身を起こし、両手に息をハァーと吹きかける。一日の始まりにある朝の冷たさは世界を引き締める。プリムスのガスバーナーに火を起こすと、その上にポットを置く。シューと鳴くバーナーの音は冷たい朝に溶け込む。静かな数分が過ぎ、ポットの中に紅茶の葉を落とす。葉は花開くように広がり、香りが立ってくると、茶こしを通してカップに紅茶を注ぐ。砂糖を少々落とし、一口味わうと、目の前のプラタンの台地の淵、横一直線に音無き閃光が走る。風がさっと吹き上がるとプラタンの端より朝の帝王が顔を覗き始め、そして万物の長い長い影が生まれる。そして太陽は朝を徐々に焼き始めるのだ。 人生における強烈な印象を残す瞬間というものがある。今のこの瞬間も、自身の中に大きく影響を及ぼし、何かが作られようとしているのが感じられる。身はうち震え、気持ちは高ぶり、精緻なこの刹那に五感が研ぎ澄まされ、昨日の自分の核の中に新しい核が生まれつつあるのが分かる。絶え間ない自己に内在するものとの葛藤は、この習慣に見事に融解する。まるでこの瞬間のためだけに自分が生まれて来たような感覚を感じる事ができる。自分の内に眠っていた野生なる部分は、静かに目覚めていく。自身を大自然に投げ出すと共に、それに同化されつつあるのが分かるのだ。 太陽と共にチクタン村の一日は始まる。 ツェボと言う名の手編みの籠を背中に背負って、あぜ道を畑仕事に向う女性たちの姿が見える。子供たちは家と井戸の間を行ったり来たりして水汲みに精を出している。朝靄の中、各々の家のタップの煙突からはあさげの支度の煙が低く長くチクタン村の谷にたなびいている。羊たちは各家の納屋から駆り出され、村の一カ所に集められ、羊飼いと共に今日も山に向う。こうして遥かなる昔より続いていた生活が、今日も当たり前のように始まった。

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Saturday, 7 July 2012

17.チクタン村の話 その6。

モンスーンの季節の合間に顔を覗かせた良心的な太陽は、再び流れてくる雲をその強い日差しで追い払いながら、僕たちの様子を追いかけていた。見上げると鋭く天に向っている岩山の先っちょのところに、チクタン城が太陽を背に北の国の山百合のように咲いていた。足を一歩岩山の裾野に踏み出すと、山肌の表面を覆っている薄い岩肌が剥がれ落ちてくる。チクタン城に会いにいく方法は二つあり、一つは城下に広がるカルドゥン村側からマスジドの脇を通り、城の正面の岩肌の小径を辿っていく方法。こちらの方は安全でしかもチクタン城には早く着けるので、急ぎの用がある方や石橋を叩くのが好きな方はこのコースが大変お勧めだ。そしてもう一つはチクタン城の背中側から登って行く方法。こちらは小径がある訳ではなく、その日の崖のご機嫌や自分の体調や靴のすり減り具合をみながら、ルートを模索していく。一回の滑落で一つの命が無くなるので、命のストックが無い方は前者の城の正面からのコースを強くお勧めしたい。そして僕たちは後者の城の背中から登るコースを選んでいた。岩肌を手と足で掴みながら登って行く。右肩ごしにチクタン城の背中が見える。岩山のギザギザの山頂のところに石を組んで城が作られているのがよく分かる。よくそんな不安定な場所から城は滑落しないのかが不思議でならない。チクタン城はきっと僕の靴よりもいいものを履いているからだろうとそう思う事にした。そしてユスフはこの岩肌をまるでアイベックスのように岩から岩へ軽快に飛び移っていく。そして命のストックを持ってくるのを忘れてしまった僕は、滑落して岩肌に取り残された子鹿のようにビクビクしながらそこを登って行く。最後の岩に手をかけ”んっ”と懸垂するととにかくどうやら山頂に辿り着いたようだった。

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真近で見るチクタン城はまるでマンモスのようだった。古来が突然目の前に現れ、僕たちの心に何かを語りたがっていた。見上げるとその城壁は天を恐れる事なく空を支えており、それを形作っている石や土レンガはいまだ強固で、その中に時折見える木でできた柱やすじかいは、朽ちているものの当時の記憶を強く見せようとしているのが分かる。16世紀にマリク王により建造されたチクタン城は別名、ラジー・カルとも呼ばれていて、ラダックの素晴らしい王宮の一つとして名を馳せている。城が現存していた時代の写真は1909年に写真家のフランキーに撮影されており、その勇姿は写真からも十分伺える。 「シンカン・チャンダンもとてつもない仕事をしたね。いつ来てもこの城の偉大さに圧倒され、心臓がどきどき鳴るよ」 ユスフはそう言うとそっと胸に手を当てた。 シンカン・チャンダンとは16世紀の大工で、名工として名を馳せ、チクタン城を建立した一年後にレー・パレスを作り上げているのだ。 僕たちは城の外壁を何かを確かめるようにコツコツと叩きながら回り込み、その切れ目より内部に侵入した。チクタン城の内部はとても広く、険しい岩山の頂上に建っているとは、思えない程多くの部屋に区切られていて、崩れた外壁のレンガが内に無造作に散らばり、部屋は小さな庭のようになっていた。この異次元な光景を見たとき、シンカン・チャンダンの仕事の偉大さが自分に沁みこんできた。部屋床の岩肌の草の中から一輪の小さな花が咲いていた。その花の周りにはちいさな蝶が静かに舞っていた。そこは音も無く、昔の文明の気配が微かにするだけで、時とともにそれは大自然に同化されていき、動植物の楽園になっている。奥の部屋から城を守り続けて来たロボットが一輪の花を手に持って現れて来そうな気配であった。そしてこの無口な天空の城は何かを想像させるそんな気配であった。 一つ一つの部屋を散策していくと、ある部屋に数枚の石板が置いてある事に気づき、それには縦横斜めと細かく線が彫られていた。それはチェス盤のようでもあり、バックギャモンのようでもあり、オセロのようでもあった。それらは昔の人々が陣取りゲームに使った石板だった。兵士たちが城守の交代任務が終わってから、この静謐なる部屋で、ロウソクの火を便りに、あぐらをかき、腕を組みながら石板上の寡黙な兵士たちを動かし、いかにして自分の領地を広げるか、いかにして相手の領地を分捕るかに頭を悩ませていた。そして自分の領地が広がるごとに相手は愚痴をいい、自分は歓喜の声を上げ、周りで様子を見ている同僚は一緒になって喜んだり悲しんだりした。城守より敵が攻めて来たの報告を受けると、兵たちはその部屋から一斉に出て行き、各所の守りについたのであろうか。 部屋の窓枠は小さく、遥か彼方まで見通せるようになっていて、実際に覗いていると、チクタン・エリアの縁までしっかりと見渡せる。窓枠の形と大きさに切り取られてたチクタンは、遠くまで続いている緑があり、ヒマラヤの山肌のなめし革の色もまた彼方まで続いている。それがこの窓枠の絵画の中にある風景なのだ。そして僕は王様の部屋はどこだろうと探すが分からず、きっとあの崩れおちてしまった高い所の一番素晴らしい景色が見える部屋なのだろうと想像する。それからここと似たような場所を僕はふと思い出す。マチュピチュ遺跡だ。マチュピチュは土台しか残っていないけれど、このチクタン城はしっかりと城の形が分かる程残っている。そしてその崖の縁にへばりついている姿は同じに見える。ここに建造物を作った労力もきっと同じようなものだろう。気の遠くなるほどの高い場所に人力だけで作り上げていく。違いはマチュピチュはアンデスの天空都市であり、チクタンはヒマラヤの天空の城という事。このヒマラヤの天空の城チクタン城の美しさは、過去の偉大な写真家、冒険家、歴史家、商人、そして現代の凡庸な僕をも魅了した。過去でも現代でも青い空と緑の土地と悠久のヒマラヤに囲まれて建っているチクタン城のその姿は、湖上の花のように心の内の一片を漂う、そんな清涼な部分になり、ここを訪れるものにとって、必ずやかけがえのない記憶となって、人生の中で幾度も浮き上がってくる大切なものになるだろう。

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Friday, 6 July 2012

16.チクタン村の話 その5。

どこからかフォーク・ソングの調べが、のどかな朝に聞こえてくる。チュルングサ(チクタン村の中を流れる小川)方面がなにやら賑やかだ。僕はさっそく左に動物たちの小屋そして右に野菜畑を見ながらその小径をチュルングサに急ぐ。石垣の上や積まれた大木の上やチュルングサのを囲む少し広くなっている土地の淵には人だかりが出来ており、その中心には荷台にハイキング・グッズを詰め込んで来たトラックとその荷台から吐き出された大勢の子供たちが円を作りラダッキ・ダンスを踊っていた。周りの人たちに話を聞くと、スクルブチャン村のミドル・スクールの子供たちが先生を伴ってチクタン村にハイキングに来ているという事だ。 スクルブチャン村はチクタン村をカンジ・ナラに沿って下っていき、サンジャク村に出たら橋を渡り、インダス川沿いに遡っていくと見つかるブッディストの村だ。スクルブチャン村は切り立った崖を囲むようにして広がっており、その崖の頂きから中腹までふじつぼのようにゴンパがへばりついている。その光景は素晴らしく、僕はなぜここを通過して観光客はダー・ハヌーに行ってしまうのだろうといつも不思議な気持ちでいる。観光客がほとんど訪れないので、無垢なブッディストの文化が残っているのだ。もしみなさんが来られるのなら、こことセットにこの近くのタクマチク村やその他の村々も見てほしいと思う。タクマチク村は素朴だが、ゴンパからの眺めは最高だ。もちろんここまできたら、アチナタン村から深山に入っていき、ダルゴ村そしてコクショー村にも足を伸ばしてもらいたいものだと思う。コクショー村は山深いところに、何かから逃げて来たかのように存在するアーリアンたちが築き上げたブッディストの村だ。観光客などいないので、ラダックの純粋な仏教の遥か過去より冷凍保存されてきたものが目の前で解凍された状態で差し出される。このコクショー村を通り越して山を反対側に下っていくと、とうとうチクタン村が見えてくるのだ。 チクタン村の人々は、子供から大人までこのスクルブチャン村からやって来た予期せぬかわいい子供たちの踊りに目を奪われている。先生たちが料理を作っている間、子供たちはずっと踊り続けるのだ。円になったり、線になったり、バラバラになったり、音楽に乗って、くるくる回り、からからと笑う。チクタン村の人々の手拍子も熱を帯びてくる。その熱気の中、人々の重みに絶えられなくなったのか小さな石垣の一部が倒壊する。辛うじてその小さな災害から逃げ延びて来た子供たちから笑いが起こる。そして踊りはまだまだ続く。スクルブチャン村の子供たちが今度は一緒に踊ってくれる獲物を探してさまよい出す。そしてチクタン村の女たちは楽しげな悲鳴を上げ逃げ回る。スクルブチャン村の子供たちにチクタン村の女たちは手を掴まれると、踊りの輪に入る振りをして、一瞬安心して子供たちの手が緩んだところを振りほどいて逃げるのだ。結局最後に捕まったのは僕なのだが、僕は子供たちとともに踊りの輪に入り、踊り出す。そのラダッキ・ダンスはとてもシンプルのように見えて、見よう見まねで付いていくが、なかなか核をなす部分の動きがうまく出来ず、それでも四苦八苦しながら踊る。そんな僕の姿を見てスクルブチャン村の子供たちもチクタン村の人々も腹をかかえて楽しげに笑う。そしてついには僕も笑うのだ。

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午後からは少し雲が出て来たが、プラタンに登ることにした。プラタンとは今僕が滞在させて頂いている家の玄関を出ると正面にそびえている巨大な台形の山だ。チクタン城の近くから正規の車の道は続いているのだが、僕はチクタン村のイマンバラ(セレモニー・ホール)の背のちょっとした断崖から登る事にした。山肌はもろくて弱く、しっかりと足の裏で山を掴むようにして、谷側に重心をかけないように山側に重心をかけながら登って行く。中腹で振り返ると、チクタンの村の家々の頭はすべて見下ろせ、周りに山が迫って来ているのが見てとれた。断崖を横に横に移動しつつ回り込みながら頂上を目指す。最後の山肌に足をかけ体を頂上に乗せる。そこから見渡す限りは頂きは広い広い茶色の平野だ。その縁は深く谷に落ち込む奈落になっている。僕はゆっくりとその岩の砂漠を縦断する。頂上は風強く、縁に移動するに従って力を増していく。崖の縁に到着するなり、怖々とその奈落を覗き込む。吹き上げの風はとても強く、もし同じ風が後ろからきたら谷に吸い込まれてしまうだろう。その風の間より谷を覗く。谷には緑の宝石がひきつめられており、それらは風を気持ち良さげに受けている。谷はなめし革色をしたヒマラヤの山々に取り囲まれていて、その山々の中には先日、アイベックスの家族を抱いていたヒマラヤの山もすぐ目の前に見える。足下の断崖の切れ目にはたくさんの鳥たちが巣を構えており、そこから彼らは空中に体を投げ出すと、うまく気流に乗り、気持ち良さげに谷の空を滑空していた。僕はきっと飛べないので、飛び立つか立たないかの断崖の縁のところをゆっくりなぞるように歩きながらチクタン村の美しき緑の輝きを堪能すると、静かに違うルートを使ってプラタンから降り立ち、そして帰途についた。

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そして夜がきた。プラタンの頃の空は曇っていたが、風が雲を散らしてくれたのか、ぽっかりと空には穴があき、近日には見られなかったような美しい星がヒマラヤの夏の空を埋め尽くしていた。数十秒ごとに夜空を何かがキラキラしながら横切っていく。流れ星だ。空はこの世に存在するあらゆる色彩を使って輝いており、カンジ・ナラの空にも星たちの川がしんしんと流れていた。夜空を取り囲む山の陰は濃く、夜空の星もまた濃く、夜の時間も濃く、今宵の眠りも濃いようだ。深夜にあまりにも眩しいので目を覚ますと、窓の外で大きな大きな月が浮かんでいた。チクタン村の7月10日から7月15日までは、一年のうちで星と月とが一番美しく見られる暦だ。この季節になるとチクタン村の住人は家の屋根で寝る。満点の星空のもと、月明かりに照らされつつ、一晩中語りながら、屋根の上で過ごすのだ。この明るい闇に、人々の心は溶け込み、子供たちの思いは星の海を駆け巡り、夜深く煌めく星空に太陽のような月が昇ると、あたりは昼のようになり、時間を間違えた鶏は夜の第一声を上げ、誤って眠りについていた人々も、もぞもぞと起きだし、屋根に登ってはすべてのコスモスからチクタン村に集まって来たような星たちとぽっかり浮かぶオレンジのような月を見ながら、遥か彼方の山の中腹でアイベックスやスノー・レパードやヤクやナキウサギなどのさまざまな種類の動物たちも夜空を眺めているのを感じているのだ。

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Thursday, 5 July 2012

15.チクタン村の話 その4。

「にわとりは?」
「コッカラ・コーン」
「じゃ猫は?」
「ミャオース」
「犬」
「ウオッ ウオッ」
「カシャンブルーは?」
「カシャ・カシャ・カシャ」
「じゃ牛は?」
「バーオ」
「山羊は?」
「マー」
「羊はなんて鳴くの?」
「バァ・バァ・バァ」 

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Wednesday, 4 July 2012

14.チクタン村の話 その3。

今日はチクタン村のお盆の日だ。早朝より村人たちはお墓参りに行く。お墓は高台の緑の農地が一望できるとこに作られている場合が多い。お墓の上には色とりどりの花が散りばめられており、ヒマラヤの山に眠るご先祖様の周りに集まり、歌を歌い、特別な食事をし、そして語らうのだ。日本のお盆とほとんど同じで、先祖を敬い、今を戒め、思いを未来に馳せる。しかしお墓の姿は日本の火葬と違い、イスラム教では土葬が主だ。世界で火葬が取り入れられている主な宗教は仏教とヒンズー教で、キリスト教やイスラム教は土葬となっている。最近は世界の学者たちの間でヒンズーとは宗教ではなくコミュニティの総称だという論議が沸き起こっているという話を聞くが、とりあえず宗教としておく。キリスト教とイスラム教だけでも世界のかなりの宗教の割合を占めるので、今や火葬を行っている宗教は必然的にマイノリティーに入ってしまう。また輪廻思想がある仏教での火葬は厳密に言えば完全な輪廻にならないかもしれない。なぜならば火葬する事により骨以外は灰になり、土に帰らないからだ。イスラム教の土葬の目的は肉体を完全に土に戻す事。魂は神のもとに帰り、肉体は分離して、その養分は草になり、花になり、木になる。または虫になり、鳥になり、野生動物たちになる。

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Tuesday, 3 July 2012

13.チクタン村の話 その2。

今日朝も村中に鳴り響く結婚式の始まりの音楽で目を覚ます。昨日今日と長い宴は今日も続く。昔は結婚式を一週間続けたという話も聞く。昨今ではそうもいかず、三日または二日と短くなっている。朝のチャイは気持ちよく喉の乾きを潤し、朝の食事は程よく空腹を満たし、朝のチクタン村の風景は心を満たしてくれる。僕の部屋の窓からは、プラタンと呼ばれる台形の巨大で美しい山塊が見られる。プラタンは朝は陽が背から射すので腹は影になっているが、朝靄に出会った時の幽玄な美しさは、幻想の中の詩のようである。

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Monday, 2 July 2012

12.チクタン村の話 その1。

朝6時頃、寝室で静かな音がしたのでゆっくりと目を覚ますと、枕元にはんなりと湯気が上がっている一杯のチャイとブレッドが置いてあるのを発見する。チクタン村の朝はカルギルと比べるとずいぶん寒い。目覚ましの暖かいチャイはありがたいと思うが、きっと僕は二度寝に入るだろう。そして二度目に目を覚ましたときは朝の7時半になっていた。朝から村内でなにやらにぎやかな音楽が流れている。今日はチクタン村の住人の結婚式らしい。6月、7月はチクタン・エリア内では結婚式が連日のように行われていて、チクタン村の一番忙しい時期の一つでもある。

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Sunday, 1 July 2012

11.そしてチクタン村へ。

あるカルギルのよく鳥が鳴いて、よく空気が澄んで、よく晴れた日の朝、メモリーカードの中の数千枚の写真を消失してしまい、カルギル中の店をあたふたと駆け巡り、なんとか全ての写真のエスケープに成功した後、僕は再びチクタン村へ向かうこととなった。メインバザールのラルチョークをスル・リバーに向かい、プエン村に渡す橋の手前に位置しているタクシー乗り場から出発した。カルギル市街は日中交通規制が行われており、バルー方面からバザールへの道は通行可能で、バザールからバルー方面へは通行不可だ。バルー方面へ向う車は、ほんの少し遠回りをするスル・リバー沿いの道を迂回する事となる。スル・リバーは水量がとても豊富で、その強い水の勢いが時々川沿いの道を、ごっそりどこかへ持ち去ってしまう。そのすこし削り取られた道を左に見ながらバルー方面にタクシーは走っていく。そして3分程走り真っすぐ行くとバルー方面へ、スル・リバーにかかる橋を渡るとレー方面へと分かれる三叉路に出てくる。タクシーがその無骨な鉄橋を渡ると、面前に巨大な台地が立ちはだかる。その台地をつづら折りに山肌を縫うようにてっぺんに向う。スル・リバーを右手に見たり、左手に見たりしながらタクシーは走る。この台地の腹からスル・リバーの向こう側に広がるカルギルの街は大変美しい。水色のスル・リバーの向こうに緑光る場所が右から左へと広がり、その中に土と石で作られている家々が点在して、それの濃い部分が街を作っている。そしてその街はヒマラヤの山の中腹にあり、この山の後ろにも流れるように山ひだが続いている。ヒマラヤの山々と空の境ははっきりしているようだが、ヒマラヤ自身は天空の中にあるので、ヒマラヤも含めての空なのである。

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Friday, 29 June 2012

10.ステファニー

「レ・テンプス・デス・ジタンはいい映画よ。一度見てみたらいいわ。監督はトニー・ガプリーだったっけ、ルストリカだったっけ、ごめんなさい、思い出せないわ。それともう一つトニー・ガトリフのラチョ・ドロム。これもすごくいい映画でヨーロッパから中東、そしてインドにいたるまでの各国々のジプシーたちの生き様を追ったドキュメンタリータッチの映画ね。それと中東映画でたしかイランの映画だったと思うけど、"ノウワン・ノウズ・アバウト・ペルシアン・キャット"もすごくいい映画だから是非見てみて、イランにおける青年たちの音楽活動事情に、躍動する若さと鮮やかな色彩を絡ませて、イランという内的偏見をみごとに打ち砕こうとしている映画ね。」

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Thursday, 28 June 2012

9.ホテル・エバーグリーン。

カルギルのメインバザールにあるオールド・タクシー・スタンドの右脇の道を進んでいくと、その右手には2件ほど茶屋が並んでいて、良く言えばオープン・テラス、見たままで言えば砕けたコンクリートがただ地面を隠しているだけの不安定な一段高くなっている場所で、日中から陽に灼けた男たちが、目をしばたかせつつ、バター茶を飲みながら管を巻いている。たまにその中には頭を布で巻いたイスラムの指導者や警官(交通ポリス)、やる事が無く長い一日をどうやってうっちゃろうか思惑している公務員、授業の空き時間に遊びに来た学校の先生などが毎日メンバーをシャフルしながらも集まってくる。

そこの前を通り過ぎ、右側の石造りの建物の暗い一角にある駄菓子屋も通り過ぎると突き当たりには立派な鉄製の門が見え、その向こう側には巨大で立派なホテルがあるが、その門の左横を見ると何やら匂いたってくるような細い道があり、ますます探索心が揺さぶられ、そこに入っていく人はきっと変わり者である。そして僕はその道を入っていく。数歩進むとすぐに歪んだ木枠に青色か群青色か見分けがつかぬ扉が付いているところがるので、それをくぐり抜けると、とある建物の敷地に入る。目の前には視界を遮るように巨木が立ちはだかっていて、朝方にはその周りを大勢の期間労働者たちが、陽に灼けて筋張った体を丸めてしゃがみ手洟を飛ばしつつ、端が欠けたプレートにご飯をのせ、その上に野菜のカレー煮の汁をかけて、はふはふといいながら黒く細い指を器用に使い頬張る。手でご飯を食べる方法は僕が知る限りでは二通りあるのだが、一つ目は親指以外の四本指でご飯をすくい、ご飯は指の腹に乗せ、口先にそれを持っていき、親指で指の腹に乗ったご飯を口の中に押し出して食べる方法、もう一つはご飯を鷲掴みにして、口を大きく開けて、シンプルにストレートにただ食欲と胃袋に任せるままに口の中に入れる。鷲掴みにしては口に入れ頬張り、頬張っては鷲掴みにする。僕はどちらの作法も好きで、良くやるのだが、両方とも最後は皿にへばりついたご飯や汁を指で奇麗に残さず拭き取り、次にその手の残りかすを舌を使い指一本一本を上品に舐め上げる。最後は野菜を買った時に巻いて来た新聞紙やら、ボロ布やらで指を拭いて終了だ。しかし場所が違えば作法も変わるようで、以前スリランカの宿坊で指を一本一本舐め上げていったら叱られた憶えがある。

そしていよいよその建物の全容が近くに見えてくる。石と土とセメントで出来たその建物はホテル・エバーグリーンと言う名で、周りの立派なホテルたちに囲まれた閑静でかつ淀んだ一角にある、いつも期間労働者や外国からのバックパッカーたちで賑わっている木賃宿だ。バックパッカーたちは安宿を求めてここにやって来るが、リピーターが多く、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オーストラリア、カナダ、デンマーク、日本、タイ、韓国などまるで世界の民族博物館みたいだ。ここからさらにスル谷さらにはザンスカールへのトレッキングへいそしむ人たちで溢れている。さてさっそくその建物の一階部分を歩いてみる。建物の入り口には扉はなく一本の廊下が奥まで続いていて、右に左に沢山の部屋が固まっているので覗いてみると、どの部屋も狭く、地面にボロ布を置いただけの場所にたくさんの期間労働者やその家族たちが寝食をともにしている。部屋の角には、携帯コンロが置かれ部屋の中でも煮炊きををするのだが、その壁はすでにすすけて真っ黒である。しかしかれらはいつも陽気で、その家族の子供たちも暇さえあれば走り回っていて、朝食や昼食、夕食の時間になると、いつも歌声が聞こえてくるので、こちらまで心楽しくなってくる。

一階の廊下の突き当たりまで行くと、二階に続く階段があるので、古い板で出来たその階段を踏み抜かないように注意深く登る。二回部分は一階とは様相が変わり、視界が明るくなる。柔らかい色に塗られた壁は、時折吹き抜ける優しい風と同化する。一階は人間が生きるための鬱蒼たる陰鬱な空間だったが、二階は明るく涼しく優しく不思議な名状しがたい空間となる。しかしここで安心してはダメだ。決して壁には触れないようにと忠告しておこう。この壁の明るくて素敵な色は、もしかしたら数分前に宿の主人が気まぐれに塗り替えたばかりのペンキの色なのかもしれない。あきらかに昨日の壁の色とは違う。試しに壁にもたれてみる。ほら思った通りだ。僕の右半身が薄い緑色になってしまった。僕はペンキで汚れた服を水をはったバケツに入れてから、部屋に入る。

僕の部屋は二階にある。このホテル・エバーグリーンの主人の息子はカルギル・トゥデイ・ニュースのメンバーであり、僕はここに特別に安く住まわして頂いているというわけだ。部屋中も廊下と同じで薄い緑色で塗られていてカーテンを開けると柔らかい日差しがゆらゆら揺れる窓のガラスを抜けて差し込んでくる。天井部分は全て木で出来ており、板張りの天井には七本の桟が右から左へ差し込まれていてそれとクロスするように一本の太い桟が食い込んでいる。窓際にはベッドがあるのだが、そのベッドは古いパイプ・ベッドでそのうえに古いマットレスが置かれ、その上に新しいベッド・カバーが敷かれている。寝心地は意外に良く僕の体にフィットしていて、ここに長く逗留していると、マットレスが人形に窪んでくる。電源ソケットは何故か天井に付いているので、長い長い延長コードを持って来た僕は正解だった。角部屋なので二面は外に向っての窓が付いていて、一面は出入り口の扉が付いていて、残りの面は隣りの部屋と壁で接している。昔はカルギルのゲストハウスやホテルと言えば南京虫が象徴だったが、今ではどんな安宿でもまず南京虫はほとんどでない。ラダックの南京虫は古い家の天井に住み着くので、たまに天井が多くの枝で出来た古い家に泊まる事になったら、ブランケットで頭から足先まで覆って寝る事だ。夜中に人めがけて空中落下してくる南京虫はこれで防げるし、村人もこうして寝る。

この古ホテルの二階の廊下の奥に三階に続いているような、今にも崩れ落ちて来そうな古い木でできた不気味な謎の階段がある。階段の登った突き当たりには古い傾いた扉が付いており、その向こう側はうかがい知れない。宿の主人に聞くとここには決して入らないようにという事だ。僕にとって、ますますもって惹かれる魅力的な空間だ。ある夜中僕はトイレに行くために、部屋を出てその階段の突き当たりの古い扉を凝視している。その扉から微かに光が漏れている。そして微かに子供の鳴き声がする。それは部屋の中で寝起きしているだけでは決して聞き取れない泣き声。部屋の外に出て、階段の突き当たりに気を集中して、耳を澄まさないと聞き取れない声。一人ではない。何人もの子供の泣き声がする。僕はその階段を登る。階段が音をたててギシギシと歪む度に、僕は歩を止めて、息を止める。扉に手をかけてゆっくり開けてみる。薄暗い屋根裏のスペースに少量のベッドとその間に多くの布団が敷かれ、多くの人たちが息を殺しつつひしめいていた。彼らは大きく深い無垢な瞳でこちらに一斉に目を向ける。ネパールからやって来た期間労働者たちが極安の屋根がある場所を求めて、ここに滞在しているようだ。その隅の方で複数の赤ん坊が泣いている。やせっぽっちのお母さんがお乳をそのやせぽっちの赤子たちに与えていた。窓さえ無いこの空間の薄暗い裸電球と埃と立ちこめる人の匂いと潜めて話す低い声と淵の炊事道具そばの黒くすすけた壁と持参した崩れ掛った布団とそこにいる複数の家族たちがいるこの狭い空間に、僕は持つ者と持たざる者のねじれた宿痾の世界を感じ、静かにその扉を閉じた。

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Wednesday, 27 June 2012

8.スル谷のドライブ。

バルー村よりスル・リバーにそってさらに車で奥に進む事15分、静かな山間の谷にチュトク村と言うなの村がある。村に入り山側の斜面を登って行くと大きな学校のような建物が見えてくる。その建物の周りには子供から青年までが軍服を着て整列をしている。ここはアニュアル・トレイニング・キャンプというところで、通称NTCと呼ばれている。子供たちはここのキャンプに体験トレイニングに来ているのだ。そして今日はカルギル・トゥデイ・ニュースから僕とジェット・リー似のザキールがこのキャンプの取材にやって来た。指導に当たっている先生は本物の現役の軍人たちで、いつもなら緊張と危険と疲労の中にいるのだが、今日の彼らの顔はことごとく開いている。子供たちは彼らの号令で行進したり、向きを変えたり、止まったり、駆け足したり、また行進したりしている。上級生の子供たちは参加回数も多いので、列は整い仲間たちの息はかなり合っているが、年少の子供たちは列はバラバラで息も合っていないようだ。しかし楽しい遠足のような気分でできるこのような体験は、近い将来振り返ってみるときっと有意義な時間になっているだろうと思う。僕とザキールは子供たちの様子を撮影し続けている。カメラを向けるとおどけてしまう子供や、緊張して行進の手足が揃ってしまう子供、カメラを意識しないで堂々たる行進をしている子供など様々だ。最後にみんなで配給されたお菓子を頂く。グランドに置かれている机の上に色とりどりのお菓子が並ぶ。それを順番に子供たちが列をなして皿に取っていく。そしてみんなでお菓子を食べ終えると、集団での記念になる。建物を背に何百人ものざわついていた子供たちが一瞬静止してカメラのシャター音だけがグランドに響くと、またその静けさはすぐにざわめきに変わる。途中でカルギル・トゥデイ・ニュースのリーダーのホセインも合流して、今回のアニュアル・トレイニング・キャンプは終わりを告げた。

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ザキールは先に帰途につき、残った僕とホセインはスル・リバー沿いを車で流す事にした。スル・リバーは遥か彼方のザンスカールからカルギルへ流れ込んで来る。車はチュトク村を出ると徐々に川の上流に向う。スル谷の懐は深く広く、右の山から谷を挟んでの左の山までの距離はかなり長い。谷の奥まではかなり広い視界で見渡せ、遥か彼方にある真っ白な雪の帽子を被ったヒマラヤの山々が、すぐ目の前まで迫って来ているように見える。肥沃な場所に広がるスル谷の村々はこの季節いつでも濃い緑の中にある。2年前にも来た事がある古いマスジドがあるグランタン村を通し過ぎるといよいよスル谷は広くなっていく。そしてすり鉢のような地形が彼方まで続く。空は動かず、山が少しずつ前から迫っては、後ろに抜けていき、雲は流れているのか、車が動いているからそう見えるのか、それさえもわからず、でも景色が少しずつ変わっているのは事実で、村の形も常に変わっていっているようだ。左手に山脈の腹に大きなトンネルを開けて水を通す工事が行われている。チュトク・プロジェクトだ。ヒマラヤの雪帽子に青い空にさんさんと照っている太陽が、山の白い部分をよりいっそう際立たせている。すると山の帽子以外の場所もその照り返しを受けて美しく輝いている。道は相変わらず他のラダック同様、車で掘られたアスファルトの穴に土を入れたり、またはアスファルトの再敷設工事などが行われておらず、酷い状況の場所が数多くあるが、すでにドライバーたちはそんな当たり前の事に気も止めていない様子だ。

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いくつもの山や村を駆け抜け、僕たちはメイン道路から外れてスル・リバーを渡り、進むと午後の風が少しだけ吹き、徐々に森が開けると、小さな小さな村が見えて来た。ティナ村だ。村の淵に止めた車から降りると、やはり一番最初に集まっているのは子供たちで、彼らは少しの興味に飛びついてくるのだ。この村は深い緑に囲まれ、6月の雪を被っている山々にも囲まれ、初夏というよりもやっと春がやって来たというような雰囲気で、静けさの中、村の中を吹く風が荒涼たる気分にさせ、頭の片隅にわずかに冬を感じさせている。スル谷はやっと春が来たばかりなのだ。村の中の細い道を歩いていくと左側に畑が広がり、やはりその向こうにも大きな山が頭に雪を抱えてそびえ立っている。右側には離れの厠が見えて来て、細い道を挟んで反対側に一軒の家が建っている。この家はホセインの友人の家らしく、ドアをそとから軽快にノックする。しばらくしてホセインの友人が中から扉を開く。彼はラッキー・アリという名の人物で大きな体を揺すって歩いてくる。この人物はカルギル・トゥデイ・ニュースに遠い昔に在籍していたと言う事を聞いた。この部屋には昔この人物が撮影したフィルムがたくさん転がっていた。人物がそれを一つづつ手に取り、内容を説明しているその表情はまるで子供に戻ったようだった。人物は夏の6、7、8月にしか家に戻らず、この三ヶ月間は農作業をして過ごすそうだ。スル谷の冬は他のラダックの地域よりも少しだけ長く、人物のように夏の数ヶ月しか戻ってこない人は数多くいるらしい。通された部屋の台所の壁には縦にも横にも銀の食器が並んでおり、口が長く柄が水タバコの器具も冬の埃が被ったままで壁に寄りかかっていた。鶴が月に向って何羽も飛んでいる様子の日本画が、小さな額に入れられて、壁の中央付近に飾られている。しばらくして紅茶とお菓子が出来たので僕たちはそれらを頂いた。数十分も滞在しないうちにラッキー・アリの家を出ると、よりいっそう風が強くなってきたので、僕はジャケットの襟をたて、ジッパーを上まで上げる。6月のこの村はまだ春と冬がせめぎあっているようだ。谷は広いが雪山から吹き降りてくる風に冷やされて、いまだ冷蔵庫の中といったところだ。雲の流れも早くなって来たので、天気が変わる前に僕たちはカルギルへ戻る事にした。

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Tuesday, 26 June 2012

7.ゴンマ・カルギル。

カルギル・トゥデイ・ニュースの仕事で子供たちの集団検診と政党の講演会の取材を夕方前までになんとかこなしたので、黄昏時にカルギルよりさらに天に近い場所にトレックングに行こうと思った。メインバザールのラルチョーク交差点を山側に登って行き、ガールズ・セカンダリー・スクールを通り越したところの左手の崖に辛うじて作られているような急斜面の階段を登って行くと、カルギル・トゥデイ・ニュースのスタジオがあり、そこからはカルギルの街がとても広い視野で一望できるのだが、階段を登って行かずにスクールの裏手の右側に続いている車道を歩いていく。

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そこを木陰の下を10分程歩いていくと前回来た事があるルンビタン村に出るのだが、今回はこの村を通過してさらに車道を歩いて登って行く。ルンビタン村は谷が鋭角に谷側にも山側にも刻まれている山の腹に広がっている。山側に刻まれている鋭角の形のまま、迂回するように車道が隣の山まで伸びている。先ほどまではこちら側から谷にあるルンビタン村を見ていたのだが、今はあちら側の山の腹からルンビタン村を見下ろしている。まだまだ道は続く気配なので、ますます深く高く登って行く。さらに20分程登ると、山の高いところに次の村の家々が点在している。子供たちが道の真ん中に石を積んでクリケットに興じている。夕方の風に木々が揺れて、この高いところのその間から振り向けば、下の方から見ていた風景とは全く違う視界が広がる。下界に見えるカルギルの街は遥か下方に辛うじて見えるか見えないかというほどに、上手の緑の木々が街を遮っている。その向こうにはスル・リバーが確認でき、橋を渡ってまた向こうに広がる緑の場所がプエン村だ。そしてその村の背中には大きな大きなそして背の高い台地が広がり、そこにつづら折りの車道が微かに見え、その道は登り切った向こう側でバタリク方面とパスキュン方面に分かれ、パスキュン方面からはパスキュン、ロツン、シェルゴル、ムルベキ、ワカ、カングラル、ヘナスク、ラマユルと続き、バタリク方面からはダルチェスク、ガルクン、ダー、ハヌー、アチナタンと続き、双方はカルシで再び出会ってレーへ向うのだ。

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さらに上昇する道を登って行くと20分ほどで、また小さな集落が見えてくる。まさに天空に広がる村だ。車道はこの村で行き止まりになっている。この村の名前はゴンマ・カルギル。ヒマラヤの高いところに咲くゆりの花のような集落だ。ここから見える風景はすでにカルギルというくくりを通り越して、遥か彼方の頑健にして優美であり、深淵と精緻な部分を持ち合わせた心震わすヒマラヤの山々が見事なまでに扇形に広がる。村は小さいが豊富な湧き水が所々に流れており、その周りの畑の小麦が狭いが逞しく育っている。村と畑に流れる水路は急で、透明なその水がどこからともなく流れて来ているので、その水源を探してみたい気持ちになる。山から滲み出した養分たっぷりの水で育まれた畑の淵には、美しい数多くの花々が咲き乱れている。その魔性の蜜を目当てにやって来る蝶たちは、小振りながらもエキゾチックで色も形も多彩だ。ここは小さくても美しいまるで神からの贈り物のような村だ。人の手で作られた家と畑は、自然と見事に調和して、まるで今まで聞いた事の無いような不思議で心地いいメロディを聞いているようなそんな錯覚に陥りそうになる。いやすでに陥ってるはずである。名も無い花のような村を見る時、それが美しければ美しい程、五感は見事に刃先に浮いた水滴を二つに割る事が出来る刃物の如く研ぎすまされ、しかし冴えてはいるけど、どこか優しくゆりかごにも揺られているような、そんな五感を包み込んでいる心が山にゆるりと、気がつけばいつの間にやらとけ入っている。

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家々と畑たちを抜けると、その裏には山から滲み出した自然の水路とそれを囲むように緑の草と時折木々が広がり、その緑の中からポツリポツリと黒く起き上がっているのは自然の岩である。しかししばし凝視してそのあたりを見てみると、中に岩が円形に並べられている場所がある。村人に聞いてみると遥か昔にゴンマ・カルギルには2家族6人が住み着いたのが最初の人たちだったようで、少数ながらもコミュニティはしっかりしていて、その岩で囲われた場所にみんなが集まり、ここで村のリクリエーションや決めごとなどをしていたらしい。そして最初に住み着いた人々の末裔が今もこのゴンマ・カルギルに住んでいるのだ。

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この興味深いエリアを抜けると今度はうってかわってヒマラヤ特有の乾いた茶色い山が続く。山の縁を縫うようにして細い細い道が山の向こうまで続いている。そして今歩いている山の頂上付近を見上げれば、まだ頂きに白い帽子を被っているのが分かる。まだまだこの細い道は徐々に高度を上げていく。どこまで続くのだろうと不安になりながらも歩を進める。人が住んでいる最終地点の村を抜けるとすっかり不毛の山々に包まれる。ここではヒマラヤの腹に付けられた人の足で踏み固められている細く不安定な道だけが人類のただ一つの痕跡なのだ。心細くも今まで何人となく辿って来たこの痕跡を僕も辿っていく。遥か彼方の次の山の腹付近で、人の影がひらひらと動くのが見えた。人がいるのだ。心細さは消え、ただ黙々と歩いていく。ここまで来ると谷は恐ろしく深く、山の頂きは恐ろしく近く感じる。どのくらい歩いたのだろうか。疲労は徐々に蓄積されていく。さやさやと音がするので、その方向に顔を向けると細い水路がきらきらと黄昏の光を受けながら流れているのがわかる。

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そして人の声が聞こえて来たので、その付近へ目をやると、そこには緑の木々がほんの少し固まるようにたっていて、その木々の間を子供たちが飛び跳ねて遊んでいるのが確認できた。そして子供たちの間を抜けていくと山腹の石たちの間より一筋の水が孤独に流れ落ちていた。その水はここで一本の水路になり、ずっと下の方の村々へ流れていくのだ。ここにいる子供たちは先生に引率されて、ここまでやってきたらしい。そして子供たちは湧き水を取り囲んで、持参して来たペットボトルに水を詰めている。ここにわき出す水は大変有名な水で、無病息災の水としてラダック中に知られ渡っており、宗派を問わずいろいろな人々が水を汲みにくる。僕も両手で水をすくう。あたりは暗くなり始め、水面にサフラン色の赤い黄昏が降りて来て、手のひらで水がきらきら揺れている。そしてそれを口もとに持っていき、ぐいっと飲み干す。
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水は口に含むと硬水なのに、舌先に触れた瞬間にとろりと軟水に変わる。そしてその微かに甘いやつは、冷たくきりりと引き締まったかと思うと、次の瞬間柔らかく自身に浸透していく。のど元を通って、胃に落ちたかと思うと、五臓六腑に優しく染み渡っていく。疲れが深ければ深い程、湧き水は作用し、体と心を満たしていく。遥か彼方のヒマラヤの背にもサフラン色の黄昏が降りて来ている。そして優しいこの水はその景色とも作用し合って、ラダックの淡く深い光の中へ自身と心もがゆっくり沁みていく。頂きの雪解け水はヒマラヤに浸透して岩や石や土や砂やそのようなものの間を通りながら長い年月をかけて浄化して、いつしかヒマラヤの腹から滲み出してくる。それはまた人や動物が頂いたり、台地に再び浸透したり、大きな川に流れ落ちたり、いつしか海に辿り着いたりしながら、また水蒸気になり、天の雲となり、雨となり、雪となり、ヒマラヤに降りしきる。どんなに細かくその流るる方法が分岐しても必ず彼らはいつか戻ってくる。それらは人を生かさせ、自然を生かさせ、地球を生かさせる。流転している。輪廻している。

さっきまでいた子供たちはすでに先生とともに下山をしていて、残った僕は黄昏が夜の闇に浸食されつつある時間に下山を開始した。山の端がいよいよ暗くなり、数えられない程の星が瞬き出す頃、足早に流れる雲の間から大きな大きなたまご色の満月が顔を出し始めていた。

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