Saturday 1 September 2012

21.チクタン村の話 その10。〜ハヌーのさらに奥へ(ハヌー・ゴングマ村編)

ラマザーンもあっと言う間に終わりを告げ、一ヶ月前と同様に再びチクタン村にピクニック・シーズンが訪れる。朝の空気は天国が透けて見える程澄みわたり、ヒマラヤの夏が色濃く漂う深緑は少しお茶の香りがする。静かな日常がなんだかそわそわと浮き足立ってくると、僕らは車にテントと炊事用具一式を詰め込み、最後にチクタン村の仲良し9人組が小さな器に練り入れられた小麦のペーストのように押し込まれ、その小さな車は息を切らせつつ出発した。

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カンジ・ナラに沿って車は下流に向い進んでいく。カンジ・ナラの濁流はインダス川に向って我先にと押し合いへし合いしながら、チクタンの谷に轟音を響かせつつ流れていく。しばらく走ると右手に小さな崖の端に半分ほど土砂で流された学校が建っていた。二年前の洪水以来学校への支援が届いておらず、崩れた校舎の中で世界からひっそり取り残されたように、静かにこの中では今日も授業が行われている。カンジ・ナラの流れる音だけが無情にもこの谷にこだましていた。

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人がなかなか乗り越える事ができないこの無情さを、インドの音楽は少しの間忘れさせてくれる。車の中ではラダック・ミュージックやヒンディ・ミュージックが鳴り響いており、底抜けに明るいこれらの曲は、一度聞くだけでイメージの海が広がって来て、インドが頭の中で泳ぎ出す。日本のラジオから流れてくる曲は、はたして外国の方々が聞くと、これがまさしく日本だと彼らに思い起こさせてくれるのだろうか?そんな事を考えながら窓の外を眺めているとインダス川が見えて来て、川はさらに勢いを増し、カンジ・ナラは最後の力を出し切りながらインダス川の懐に飛び込んでいく。標高が低くなると緑もさらに濃くなり、インダス川に沿って青く輝く所はサンジャク村である。この美しい村で少し休憩を取る事にした。サンジャク村は通りに面してマーケットが広がっているが、この界隈だけ眺めると何とも印象に残らない小汚い場所に思える。だがこのマーケットの裏の山の斜面には緑美しい村々が広がっており、その側面にはさやさやと水路が流れていて、村人の営みがこの自然と一体になって見られる所は、まさに楽園のようだ。そして一体がアプリコットの木で覆われているのを見るはまた楽しいし、それを味わえば舌もまた楽しくなる。僕たちは村人にアプリコットを少しだけ頂くと、車に乗り込みまた出発した。

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インダス川を渡り右折をして、インダス川沿いに上流に向って進んでいく。なめし革色をしたヒマラヤが右岸と左岸にインダス川によって引き裂かれている。そしてその光景の中を走ると時折緑色に輝く場所が現れてくるが、それは小さな村々だ。人が不毛の大地に緑を植えていく。その痕跡だけが人が存在している証になる。しかし太古の山々に囲まれたこの場所には、人の痕跡は少ない。そして僕たちはひたすら真っすぐに進む。このまま真っすぐ行くとハヌー村に辿り着くのだが、途中で左折して軍の基地へ続くリンクロードに入っていく。つづら折りの坂道を登って行き、軍の基地への検問所に差し掛かる。さて僕たちが軍の基地へ来た理由は、この中を通ってしか辿り着く事が出来ない村があるからだ。僕はダー・ハヌーのインナー・ライン・パーミット(ILP)は持っていなかったが、チクタン・エリアのインナー・ライン・パーミット(ILP)を持っていたので、それを提出する事で基地の中に入る事ができた。基地に入りそのまま道なりに左カーブを描きながら進むと、すぐに十字路に差し掛かるので、そこを右折する。また道なりに山をゆっくり登って行くしばらく進むと基地から出られる。

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渓流をしばらく右の奈落に見ながら車を走らせる。今度は車は深くを流れる渓流に向い高度を徐々に下げていく。渓流が目線に近くなると、その澄んだ水に驚かされた。パキスタン側からわき出した水はこの渓流へと注がれて煌めいている。車は今度はその渓流を左に見ながら、上流に進んでいく。しばらくは渓谷は狭く、険しい岩山が続いている。川を右に左に移動しながら一時間程走り、谷が開けると視界も大きく開け、緑が不毛を浸食している場所にたどり着く。
「村だ」
清流は相変わらず美しく、その川沿いに村が続いている。村の名前はハヌー・ゴンマ村(ハヌー・ゴングマ村)。パキスタンとの国境に非常に近く、仏教徒が多く住むところでインダス川から10キロほどパキスタンの国境に向けて入ったところにある村だ。村内をしばらく走ると風に運ばれた音楽が前方より聞こえて来る。発信現場との距離がさらに近づくと、その軽快な音楽はますます陽気になってくる。一本の緑茂る木の向こう側に一台のトラックが止まっており、その荷台にはたくさんの人が乗っていて、歌えや踊れやの大騒ぎとなっていた。よくよく聞いてみると結婚式のお祭りをしているのだと言う事だ。男も女もトラックの荷台で少しほろ酔い加減で楽しげで賑やかだ。トラックは彼らを乗せたままゆっくりと動きだし、村の外れのつづら折りの道を上って行くと、ヒマラヤの尾根の向こうに消えていった。

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ハヌー・ゴンマ村を抜け僕らもゆっくりとつづら折りの道を上って行く。ハヌー・ゴンマ村がインド側の一番深いところにある村ではなく、この奥のもっと深い深い場所に未知の村が存在するのだ。山の尾根の下側を川を谷に見ながら走って行く。谷の向こう側には農地が広がっていて、収穫後の小麦が静かに横たわっている。そして5kmほど走っただろうか、再び目の前の渓谷が扇状式にひらけていて、そこには小麦畑が広がっており、その端を清流がゆったりと流れて、ひらけている場所の向こう側にはヒマラヤの山々が凛として立ち誇っていた。陽は西に山の端に沈み始める時、その大きな谷に爽やかな風が吹き込んで来て、清流の上の冷たい空気を僕たちがいるところまで運んで来た。この村の名前はハヌー・カスカス村。僕たちは村の中で一夜を過ごすべくテントを張ることができる場所を探す。途中村の中腹に面白い像を見つけた。彼は高い所に立っていて村を一望していた。彼はラダックのお祭りなどでよく見られるお面のお顔を持っており、その色彩豊かな姿は、地上に降り立った踊る神のような仕草をしていた。そして村人にこの先の村ことを聞いた。ダー・ハヌーエリアの人たちと同じように頭に素敵な飾り物をつけた村の女性は語ってくれた。パキスタンとの国境に一番近い村でこの先には村は無く、いくつもの峠を越えながら国境を迂回すると、ヌブラに出られると言う事だ。そして最近インナー・ライン・パーミットを取得すれば行くことが出来るようになったヌブラの奥地のトゥルトゥック村まではこの村から30キロほどの距離だ。もちろんここからは車道はなく、村人が活用しているヒマラヤの中を縦横無尽に走っている徒歩ルートをトレッキングルートとして使わなければならない。地図で見る限りは高い山が目白押しなので、たぶんその峠もたいへん険しい事は想像できる。でもいつかはこの村からトゥルトゥック村でトレッキングでたどりつきたいと思う。このハヌー・カスカス村自体はインナー・ライン・パーミットを持っていれば一部の国籍の方を除けばだれでも入境できるので、是非無垢な手あかで汚れていないこの美しきハヌー・カスカス村に是非ともみなさんのご来村を村の方々は心よりお待ちしております。

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上流から探して行き、ちょうど村の中程を歩いている時に、手頃な広さの村の景色が一望できる空き地を発見した。さっそく僕たちは車から荷物を下ろし、テントを張ることとした。5人用のインド製テント、2人用の日本製のテント、1人用のアメリカ製のテントと様々なテントが空き地に設置された。キャンプで使う火といったら小さなプリムスのガスバーナー類を思い浮かべる人も多いかと思うが、この僻地ではキャンプと言えば大きなガスボンベを車の荷台に転がして出発するのが一般的だ。もちろんトレッキングの時も鉄のかたまりの重い重いガスボンベを背負って歩く。そうして持って来たガスボンベを空き地の隅におき、夕食準備に取りかかる。ゴマッチを近づけるとゴーという轟音とともに火は輪状に広がり、そこに水を入れた鍋をおき、ボイルする。そしてこの沸騰したお湯で飲む紅茶を頂く。どこでもそうなのだが、味は場所が作るというほど、部屋の中で飲む紅茶よりは、ヒマラヤの知らない村のひんやりとした空気の中で飲む紅茶は絶品だ。そして一つ変わり種なのが、ラダックでは食事の準備をしている時のご飯などの焚き物や煮物などを作る時の待ち時間で、みんなでとにかく踊るのだ。車のスピーカーから大音量でラダッキ・ソングやヒンディ・ソングを次から次へと流しつつ、それにそれに合わせてみんなで踊るのだ。ラダックで小さな村などから大音量の音楽が流れて来た時、それはほとんどの高い確立で、違う村からやって来たハイキングを楽しんでいる人たちだと思ってほぼ間違いない。ラダックのハイキングの特徴はそのいつ終わるか分からない踊りに集約される。とにかく常に踊りに踊り続けるのだ。朝でも昼でも夜でも踊る。とくにチクタン・エリアではそのフォーク・ダンスが有名なので、この踊りは昔々のその昔からずっと続いている伝統なのだ。そこでダンスのみならずフォーク・ソングもそんな踊りの場で発展してきたのだ。今はスピーカー、昔は楽器をもってのハイキング。そして今は車、昔はロバにのってハイキングに出かけていたのだ。

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先ほどまで山の端に顔を見せていた陽は、ヒマラヤの背に消えて行き、ひんやりと涼しげな暗闇があたりを覆い始めると、炊きあがるご飯を待つ間や煮込み上がるおかずを待つ間の時間は、もちろん踊りの時間に費やされる。踊り方なんかなんでもいいのだ。ようはどれだけ楽しめるかが重要なのだ。暗闇は車のサーチライトで照らし、その中でチクタンの男たちが踊るのだ。実に滑稽なようにみえるが、これは素朴なラダックの文化であり、ピクニックの最大の楽しみの一つであり、ピクニックの受け入れ先の村人たちも、時折楽しく覗きにくる。次から次へと曲はめぐり、僕たちも踊り巡る続ける。食事が出来上がる直後の最後の選曲は、ラダックで有名なフォークソングのアリヤトで盛り上がりつつ、最後の曲はチクタン村がほこるフォークソングのシャガランで締めくくる。

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出来上がった料理はテントのは満点の星空の下、たまにドンキーの鳴き声がこだまするなかで頂くが、やはり味は場所によって作られるようだ。彼らが作ったチクタンの男たちの無骨な料理を、見知らぬ山岳の村で清流が流れる音に促されつつ食べるのだが、何故だが豪傑無骨な料理が、繊細で香り高く味わい深いものに変化したような気分になる。みんながテントに潜り込むと、長距離移動または踊り疲れたその体は、眠りの中にあっという間に溶けて広がっていき、朝がくるまではそうやすやすと目を覚ましそうにない。神秘な山間に響くのは星の瞬く音と夜の動物たちの語らいと僕らの寝息だけ・・・。

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