Wednesday 4 June 2014

6.ダーナ・サービス。

ダンマ・ハウスにはもうひとつの顔がある。インターナショナル・フェローシップ・オブ・ブッディスト・ユース・ラダックというソーシャル・ワーク活動をする団体の側面だ。私たち一般社団法人LIFE on the PLANETはこのソーシャル・ワーク団体と協力して、様々な活動をラダックで行っている。今月のフルムーン・デーは5月ということもあり、仏教徒にとってはとても大切な時だ。その期間を利用して病院や老人ホームなどの様々な施設を回り食事の無料提供や団体ボランティアの若い人たちが施設の人々との交流する事を目的としている。





まずは大量の食材やその他のドネーション集めを学生たち自ら始める。レーの学校をすべて回り、またはレーの企業をすべて回り、または商店を一軒づつ回り、企画の目的を説明し、賛同を得て、支援物資やドネーションを集め、それらの経験をイングリッシュ・スクールでのブリーフィングで、学生たちが自らシェアすることにより、フィードバックさせる。すべては理にかなっている、流れるような作業だ。一ヶ月ほどそんな作業が続いただろうか、教室が支援物資でいっぱいになる。お米、小麦、ドライ杏、そばの実、干ぶどう、くるみ、お菓子、ノートブック、鉛筆、ペン、衣類、消ゴム、ペンケースなどがうず高く積まれる。そして食材やその他の物資の仕訳が始まる。ドライ杏からは色が黒いものや異物などを取り除いていく。くるみは割って中身の実を取り出していく。小分け用の箱にそれらを少しづつつめていく。また衣類などは使えるもの使えないものに振り分けていく。空いている時間を使いそんな地道な作業がこつこつと続く。





ダーナ・サービスの当日がやって来た。よく晴れた良い日がやってきた。学生たちは招待したお坊さんと合流して病院に向かう。レーで一番大きな病院だ。病室をすべて回り、できるかぎり多くの患者と接する。病室に入るとベッドが並べられ、そこに患者が寝ている。ベッドの周りには親族が付き添っている。まず始めにお坊さんがひとつのベッドに近づき患者に声をかける。そのあとに学生たちが小さな箱に詰められた食事を渡していく。そして学生たちが患者に"ツェルカマチョ"などの励ましの言葉などをかけ、交流が静かに始まっていく。病室にも様々なものがあり、小児病室の交流では子供たちの笑顔が絶えない。学生たちも逆に元気をもらったようで、まるで病室の中が柔らかな花が咲いたようにポッと明るくなる。そんな様子を見ていると"あー来て良かったな"と思う。









次にレーの街の外れにある刑務所に向かう。刑務所の中には外国人とラダック以外の居住者は入れない。僕とヴィヴェックの奥さんであるアンとジャイプールから参加した一組の夫婦は外で待つことにした。中の様子はまったくうかがい知れず、後から聞いた話によると、ダーナ・サービスは順調に進み、中で講演をしたヴィヴェックへの反響も良く、学生たちと囚人との交流も好印象で終わったようだ。そして中に三人の中国人がスパイ容疑で収監されている話も聞いた。国境沿いの平和なラダックから水面下での緊張状態の深い縁をちょっとだけ覗きこんだような気がした。

そして僕たちはチョグラムサルにある老人ホームに向かった。老人ホームは住宅街の砂塵が舞う雑踏の中にあった。居住棟はいくつもあり、そのすべてはとても質素で粗末な作りだが、自然と共に生きるラダッキたちにとっては、最低限のファシリティを満たしているようにも思えた。その居住区の間を老人たちはのんびりと行きかっている。手にマニ車を持って回し続ける者。手に持った数珠をひたすら繰っている者。地面に座ってただ一点の空に浮かぶ雲を眺めている者。仲間とダイス遊びに興じている者。老人たちは同じ時をさまざまなやり方で共有していた。





ある老人ホームで、夜中に奇声をあげる一人のおじいさんがいた。そのおじさんはみんなから孤立しており、居住区に入らず、外に自分でテントをこしらえて生活をしていた。そんなおじさんに見かねてか、一人の学生がそのおじいさんの元を訪れる。学生はおじいさんにみんなと一緒に居住区で暮らすように説得するも、聞く耳を持たない。そして数日懸命におじいさんの元を通う学生の姿が確認される。その後、学生とおじいさんは打ち解け、理解しあい、ついにはおじいさんは居住区に戻る事を決心したという。そして数年がたったある日、独り身だったおじいさんは亡くなり、遺言が実施された。その時、おじいさんは失われた王族の家系である事が明かになり、その莫大な遺産はその学生に渡ったといわれている。





以前北インドのどこかでこんな話を聞いた事がある。老人はこの老人ホームの老人かもしれないし、学生はダンマ・ハウスの学生かもしれない。今はダンマ・ハウスからはなれた場所でこの話を書いているので、ヴィヴェックに聞く機会を逃してしまったが、でも逃したままでも僕はいいと思っている。大切なことはその学生がダンマ・ハウスの学生だと信じている僕がいる事だと思う。

そんな老人たちは小さな小さな温室風のホールに集められて、僕らと老人たちの交流会が始まった。ささやかな食事が入った箱が学生たちの手から老人たちに配られる。老人たちの顔から笑みがこぼれ落ちた。老人一人一人に学生たちが寄り添う。短いが優しさに包まれた時間が流れていく。学生たちは老人たちに語りかける。老人たちは自分達の長い歴史を学生たちに聞かせている。こうしているうちに小さな小さな時間は静かに終わりを告げた。





僕たちはチョグラムサルの外れにあるマハボディ・ソサエティ内のハンディキャップの方々の施設に向かった。その居住区の中庭は花で溢れていた。その花々に囲まれるようにハンディキャップを持つ人々がさまざまなやり方で和んでいた。この施設の空気はどこかしら透明で、強い日の光さえ柔らかな閃光に変わっていた。光の中に舞う砂ぼこりも浮遊しながらきらきら輝いている。食事が入った小さな箱が学生の手から彼らに渡された。学生が話しかけると、彼らから笑みがこぼれ、その間を白い蝶がひらひらと舞っていた。この施設は名前の通り南インドの仏教徒の組織が運営している施設で、その十分な資金力で作られたここは、他の施設の追従を許さないほど充実したファシリティがある。患者のほとんどは仏教徒で、中にはお坊さんの患者さんもいた。この平和な施設のダーナ・サービスは午後のまどろみの中、ほのぼのと進行し、そしていつしか静かに幕を下ろした。










本日の最後に僕たちはチュチョット村の外れの縁にある、とても寂しい子供たちのハンディキャップの施設に向かった。その千畳敷大地は嵐のような風が大量の砂を巻き上げて視界が非常に悪く、そしてたどりついたその施設はとても小さく貧しかった。ここはムスリムの村でハンディキャップを持つ大部分の子供たちもムスリムだ。しかし施設の外から中から子供たちの楽しげな声が響いてくる。そのギャップにほっとする自分がいる。子供たちは学生たちの足に絡み付いたりしながら、とても幸せそうに見えた。チクタン村の子供たちの笑顔がよみがえってくる。学生たちが食事が入った小さな箱を子供たちに配ると、それがまるで宝物が入った箱でもあるかのように、子供たちはぎゅっと抱き締めている。子供たちの中に学生が入り、彼らもぎゅっと子供たちを抱き締める。ハンディキャップを持った子供たちが懸命に生きている。この姿を見てきっと誰もが心を動かされると思うし、自分も心の中の深いところにある何かが震えた。僕たちは子供たちと共に食事をする。ある子供の口にスプーンで食事を運んでやると、その小さな口を懸命に動かし、がんばって咀嚼しようとしている。ある子供は車イスから立ち上がり、足を引きずりながら必死で僕たちの中に入ってこようとする。ある子供は歌を忘れた小鳥のようだが、必死に自分の意思を学生に伝えようとしている。施設は貧しいが、子供たちはちっとも貧しくはない。心はとても豊かで幸せに満ち溢れている。もしこの子供たちを貧しいと感じるのならば、それはそう感じる人の心が貧しいだけだ。僕は今日一日でいろいろな事に気づかされたし、人生観が大きく変わった一日だったと思う。









そして僕たちはダーナ・サービスの最終日の明日、とても素敵な経験を迎える事となる。明日はとても大きな明日になる。










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